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訃報:ディッキー・ベッツ

残念なニュースが飛び込んできた。オールマン・ブラザーズ・バンドのオリジナルメンバーであり、サザンロックの栄光に貢献したアーティストの一人、ディッキー・ベッツが4月18日、慢性肺疾患と癌により他界した。

デュアン・オールマン在籍時、デュアン、ベリー・オークリー没後のオールマンズ、グレート・サザーン、ディッキー・ベッツ・バンドなど、オールマンズ関連だけでも多くの活動をおこない、一つの時代を築いてきた。今回はアルバムを追いながら、個人的な思いをお伝えできたらと思う。

まずはオールマンズのセカンドアルバム「アイドルワイルド・サウス (‘70)」、なんといってもディッキーがソングライティングに関わったのは本作からであり、オープニングの「リヴァイヴァル」と代表曲の一つである「エリザベス・リードの追憶」が収録されている。

アイドルワイルド・サウス (‘70)

「リヴァイヴァル」の長いイントロ部分や「エリザベス・リード〜」のテーマに移る前のディミニッシュ・コードの分解は、デュアンからの影響が大きいのではないかと推測する。同様のコード分解は、ファーストアルバムのオープニングであるスペンサー・デイヴィス・グループのカバー「もう欲しくない」でも聴くことができる。

そしてリチャード・ベッツ名義でのソロアルバム、「ハイウェイ・コール」を’74年にリリース。オールマンズで「ブラザーズ&シスターズ」の大ヒット後であり、まさに脂の乗り切った時期でのリリースである。ここでは彼の持ち味である、カントリー風味が存分に発揮されている。

ハイウェイ・コール (‘74)

何度も再発されるほどの名盤であり、デラックスバージョンもリリースされているが、あえて全編20分強のオリジナル盤が心地良い。

その後はオールマンズの再結成となるが、’77年に自身のグループ、グレート・サザーンを結成。ツインドラム、ツインリードのスタイルで人気を博した。個人的には、彼らのツインドラムのスタイルが気に入っており、バラードでもドラムのキックは細かく入っていたり、16ビートを基調にしたリズムで、バンドの躍動感が素晴らしい。

ディッキー・ベッツ&グレート・サザーン (‘77)

そしてグレート・サザーンのセカンドアルバム「燃え尽きたアトランタ」を’78年にリリースした。グレート・サザーンはこの時点で解散となる。

燃え尽きたアトランタ (‘78)

この後、サザンロックの人気は徐々に下降線を辿っており、’80年にはキャプリコーン・レコードの倒産や、いくつかのバンドの解散につながっていく。次にサザンロックが注目されるのは’91年のオールマンズ「セブン・ターンズ」とレーナード・スキナード「1991」のリリースまで待たねばならない。

その開戦前夜の一枚とも言えるのが、’89年にディッキー・ベッツ・バンド名義でリリースした「パターン・ディスラプティヴ」である。このアルバムには’91年のオールマンズに参加するウォーレン・ヘインズとジョニー・ニールが参加していた。収録曲「デュアンズ・チューン」は、まさにデュアン・オールマンを彷彿とさせるギタープレイであり、このアルバムのキラーチューンである。

パターン・ディスラプティヴ (‘89)

「デュアンズ・チューン」

個人的には、‘91年以降の活動については、オールマンズ「セブン・ターンズ」のリリースをはじめとして、ディッキー・ベッツ&ウォーレン・ヘインズのツインリードを擁したオールマンズでの活動がハイライトかと考えている。個人的にはオールマンズはこの時点で終了したという認識である。’74年の「ハイウェイ・コール」からグレート・サザーンでの活動、’91年の新生オールマンズでのプレイが特に印象に残っている。

最後に、’91年頃だったと思うが、雑誌のインタビューで「デュアンのサウンドの秘密は?」という質問に、ディッキーは胸に手を当て「ハートである」と答えたのが印象的であった。彼の息子の名前がデュアン・ベッツなのはその一因であろう。合掌。

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