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123便と父

今回は小説でもエッセイでもない話しで、テーマについては表題の通りである。
日本の航空機事故における最大級の事故であり、520名という多数の犠牲者を出した1985年の墜落事故からおよそ40年が経とうとしている。

当時の僕は一応この世に生を受けていたものの、生まれたばかりの頃なので当然ながらこの事故に関する記憶はない。
ただ、小学校の頃からニュースの特集などで何度か目にしたことはあったので、記録のおかげで知る機会も多かった。

事故の原因は羽田からフライトし始めて間もなく、機体の圧力隔壁が破損、続いて垂直尾翼が破損したことが原因だと言われている。
しかし、ボイスレコーダーには未だ公開されていない部分もあり、遺族が今もその公開を裁判で争っている最中である。


この事故に関しては謎めいた部分も多くあり、書籍や都市伝説で目に触れた方も多いと思う。
当時の自衛隊が伊豆沖で試験用のミサイルを当ててしまったからだ、とか、トロンの開発者が乗り込んでいて抹殺するために墜落させたのだ、とか色んな説が巷には溢れている。

このような噂が出回った原因のひとつに墜落した機体が発見されるまで時間があまりにも掛かり過ぎているという点が挙げられる。
羽田を飛び立ち、レーダーが消失したのが18時56分。しかし、御巣鷹の尾根に墜落した機体が発見されたのは朝方のことだった。

何故これほど時間が経ってしまったのか。自衛隊よりも先に米軍機が機体を発見し、救助に向かったものの引き返すよう指示があったのは何故か。
そういった点に関しての考察は様々なメディアで取り上げられているので一度調べてみると良いと思う。

最近だと森永卓郎氏の書籍や動画がとても参考になったので、興味がある方は是非お調べしてみて頂きたい。

表題にあるように実は昨年亡くなった僕の父が、ゴルフ帰りに墜落寸前の日航機を目撃している。
話しを聞かされたのは晩年のことだったのだが、何故鮮明に覚えているかと言えば当時ハマっていたゴルフのコースデビュー当日だったからだそうだ。

仲間達と群馬のゴルフ場に足を運び、プレイを終えてクラブハウスを出て間もなく、父は仲間達と共に機体後部から炎を上げながら飛んで行くジャンボ機を見たと言っていた。
その後方には二機の戦闘機が張り付くようにして飛んでいて、一体何事が起きたのかと仲間達と騒ぎになったそうだ。

その時は123便が行方不明になっているとは知らず、帰りの車内ラジオで日航機のことを知ったらしい。

日航機のことを調べてみると、嘘か誠か戦闘機が追い掛けていたという証言にわりとすぐに出くわす。
うちの父も「F4戦闘機だった」と言っていたが、時代背景を考えると確かに合致するうえ、当日茨城の百里基地からファントムが二機発進した記録も残されている。

wikiより

『18時56分、123便が峯岡山レーダーサイトから消えたため当直司令は墜落したと判断。中部航空方面隊司令部に、123便の緊急事態を受信してスクランブル待機中のF-4EJファントムの発進を提案。19時01分、提案を了承した基地司令の指示で、茨城県東茨城郡小川町(現小美玉市)にある百里基地よりRF-4偵察機2機が発進した。』

この記述を見てなるほど、と思ったがふと考えてみると父が目撃した戦闘機とは時間が合致しないことがすぐに判明した。

父が火を噴くジャンボ機にくっついて飛んでいる戦闘機を目撃したのは墜落前。その時間は墜落時刻の18時56分より前になる。
辺りは山で翳っていたものの、夏の宵でまだ空には薄明かりが残っていたのでハッキリとジャンボ機と戦闘機をその目で確認したそうだ。

しかし、記述を見る限り百里基地からスクランブル待機中のファントムが発進したのは提案を了承した19時01分以降ということになる。
その時間となると、既に123便は墜落した後なのだ。

父はジャーナリズムに熱を上げる性格ではなかったので、123便の事故に関して何か疑問を持ったりする人ではなかった。
「ゴルフデビューの日にとんでもない物を見ちまったから、ずっと覚えてんだぁ」と生前、東北訛りで語っていた。
ちなみに父が言う「とんでもない物」は戦闘機の方ではなく、火を噴くジャンボ機のことを指している。


戦闘機に関しての証言は百里基地から発進したものを混同して記憶しているのではないか、等の意見が大半だ。
僕も123便の件を調べてみても、きっとそうだったのかなぁとも思う。

しかしながら記憶力は物凄く確かな父だったので、火を噴くジャンボ機、そして戦闘機についてうろ覚えで言っていた訳ではないと思う。
逆に言えば不確かなことに関しては「わかんね」と一蹴する人だった。

僕自身もモノを書いたりするけれどジャーナリズムは全くなく、創作としての書き物をしているだけなのでこの件を追い掛けたり、真相を究明しようという熱意はない。

ただ、調べれば調べるほど事故の中に事件の臭いを感じることがあったりもするので、もしもこの件を調べている人がいたのなら恐らく証言の一つになるかもしれないと思い、ここに書いてみました。

始めはちゃんとまとめた感じで書こうとしましたが物語ばかり書いているのですっちゃかめっちゃかになり、ほぼ文章のみの投稿となりました。
資料とか色んな情報引っ張ったり貼り付けて載せられる人は本当スゴイ!

面倒くさがりの大枝はその手の作業が大変苦手なので、今後も文章のみでガンバロウ…!と思います。

ではでは。

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