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<本音・宜・吐露 & 弱音・宜・吐露>【九】 ~本音や弱音を宜しく程よく吐露します~

「間抜け(マ抜け)になれない自分」

あるとき子どもと会話をしていたら、シンガポールが国だとは思っていない子がいました。その子はアメリカにあるものだと思っていたようです。

それに対して私は、シンガポールのことを分かっていないなと判断。そうして東南アジアにあることとか、シンガポールの建国までの歴史などを説明。つまり私はその子が、アメリカの何と勘違いしていたのかなどについて考えることなどせず、単に「間違い」で片付け、子どもの立ち位置など全くお構いなしだったのです。

家に帰ってふとその出来事を思い出したとき、自分にがっかりしました。

子どもたちには主観と客観という言葉の話を繰り返しながら、自分の考えだけで突っ走ってはいけないとか、他の人の考えや気持ちを考えてみようといつも偉そう語っているくせに、当の本人はそれを実践できていなかったからです。

私は勝手に、ただの「間違い(マチガイ)」だと決めつけていました。でも覚え違いとか勘違いとか「間違い(マチガイ)」としてしまうことは、結果を指摘しておしまいという雑な対応です。

どうしてそういう「違い(チガイ)」を持った答えが生まれたのかについて、理由や過程に注目することを大切にしてみるという丁寧な対応が全くできていませんでした。

前者では子どもの発言を単に「間違い(マチガイ)」で片付けて、ゼロサム処理に押し込めてしまえるので、ある意味で楽に対応しています。これでは、自分の物差しで他者をさばくだけで終わりです。

しかし後者は相手の物差しに寄り添って、共に「違い(チガイ)」を確認しながら、更なる知の高みを目指す素敵な時間だと思います。

教育活動に携わり対価を得ている立場としては、後者を目指したいし、そうなれるように努力する気持ちはあるものの、まだまだ前者から抜け出せません。

自分は「間違い(マチガイ)」の殻の中、「違い(チガイ)」を喜べる器にはなれていないということですね。まだまだ間抜け(マ抜け)になれない自分です。道のりは長く険しいです。でもそれが楽しいと考えて成長したいものですね。

#つれづれ   #コラム

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