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<本音・宜・吐露 & 弱音・宜・吐露>【一】 ~本音や弱音を宜しく程よく吐露します~

「人間臭さ全開の順番」

2023年7月下旬から始めた探究構造でのコラムを、1日最低2本ずつ綴ってきました。夏にシンガポールに行ったとき、一度だけ1日3本投稿できましたが、それ以外は2本ずつでした。投稿数で見てみると、「222」本のゾロ目を超えました。そんな節目のような投稿数になったので、探究構造コラムの在り方について再設定してもいいかなと思っています。

探究構造コラムを継続したから見えてきたものは色々ありますが、それと同時に、それにこだわり縛られるあまり、見えなくなった、見失ったものも多くあると感じています。探究構造コラムが唯一優れているわけでは当然ないし、それが全ての思考過程を内包するような汎用的なものでもないことは分かっています。あくまで数ある表現形式の一つです。

だから他の表現形式を押し退けて、探究構造コラムが支配的位置に居続けるというのは、弊害もあります。そして3ヶ月以上(日数にすると110日くらい)、毎日2本のノルマを続けたことで見えたこと、気づけたこと、学べたことは、ここで方針転換したとしても、とたんに瓦解して、振り出しに戻るということはないと思います。しかしずっと続けてきたので、その流れを止めるのが怖くて続けていたのは否めません。

これまで積み重ねた事実は無くなるものではないので、縛りを緩めても大丈夫なはず。もちろん、探究構造で綴ることを全くやめてしまうと鈍るかもしれないので、断続的に綴っていけばいいと思っています。

ということで毎日最低2本とか、全ての記事をこの探究構造に寄せるとかいう縛りは、一区切り。3ヶ月以上の経験を踏まえて、再び「気楽」に表現したとしても、決して「堕落」にはならず、これまでを正しく継承した「脈絡」ある表現に昇華していくと思っています。

・・・という感じで書くと、何となく正当な理由があって、それをきちんと踏まえて勇退する感じで「かっこよく」映りますが、そんな「かっこよく取り繕った建て前」でごまかしている実態はこれっぽっちもかっこよくはありませんね。

本音は1日2本の探究構造は大変というだけのこと。1日2本の探究構造のコラムを綴るというのは、考えていた以上にエネルギーを使うものでした。この流れの引き際としてちょうど良い建て前を考えてみたらたまたま「222」本のゾロ目という都合の良い数字を発見。そんな節目と思える数字になったから、ここで縛りルールを緩めてもいいかなと考えたというスマートな順番では決してありません。単に「1日2本、この縛りでコラムを綴るのは正直大変だから、そろそろ撤退したい」という本音が先に生まれて、それを何とか取り繕えないだろうかと姑息に考えた、人間臭さ全開の順番だったのです。

まあとりあえず毎日最低1本は何かしらのコラムを綴っていきたいと考えていますが、それをきっちりと探究構造コラムで縛ると自分が苦しくなるので、縛りやすいときは縛ってみるという感じに戻そうと思います。多分長い間、探究構造で綴り続けてきたので、あまり意識しなくても自然と探究構造が内部化されるような気がしています。そんな希望的観測を持ちながら、引き続きコラムを綴っていこうと思います。

しっかり目のコラムを1日1本としつつも、その1本がシステムトラブルでカウントされていなくて、連続投稿記録が途絶えるのは嫌なので、他に「無『意』味・感想」シリーズか、今回のようなダラダラと本音や弱音を吐き出すシリーズをセットにして、「1日1本+α」という感じで考えています。

#つれづれ   #コラム  

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