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<本音・宜・吐露 & 弱音・宜・吐露>【二】 ~本音や弱音を宜しく程よく吐露します~

「経験とは言えない寂しい事実たち」

事実と経験の違い、事実と経験の境目
数えてみると9年という期間、海外に住んでいるので、それなりに事実の積み重なりはあると思っています。だからその「事実の積み重なり」として語ることは全くの嘘ではないはずです。でもそうして話すことができたとしても、別の問題への応用ができているケースは少なくて、それ以上は広がらず、出オチ的なものなので、すぐにトーンダウン。持続性のある面白みや躍動感などに欠けるものだと感じています。

つまり、それだけでは「経験の積み重ね」にはなってくれないわけです。過去の出来事を「経験」という言葉で呼べるとき、狙いや覚悟があってスタートするケースが多いかもしれません。仮に最初はなくても途中で意味や価値、しっかりとした疑問などを持って出来事と向き合うことができたのならば、そこからが経験になると思います。

そんな向かい方をしていると、最初または途中と最後との間に生じる変化にも注目できるようになり、その変化に関わる情報も含めて、意識と強く結びついた情報が「経験」に昇華して、それが積み重ねられていくと、別の問題にも活用できる「かけがえのない財産」になると思います。そしてその話は、瞬間的に終わってしまうことのない面白みや躍動感を伴っていると思います。

9年間の中に「経験」と呼べるものがないわけではありませんが、9年と考えるといささか少ないのではと感じることがあります。事実として嘘ではない話ではあるものの、経験と呼ぶには物足りない寂しい記憶の集まりたちなのです。物足りないですし、もったいないですね。

#つれづれ   #コラム


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