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そこは静かな理科室のようで

2ちゃんねるが、知らない間に5ちゃんねるになっていた。

アングラ感がなんとなく恐くて、近寄りがたい場所だけれど、ひとつだけ、季節に一度は眺めるところがある。

昆虫のなかの「蛾」が好きで、そっと愛でる人たちが集まる場所だ。

そのスレは落ち着いていて、とても静かだった。独特の語尾や一人称を使うひとは少なく、一昔前の掲示板のような雰囲気で、賑わっていることもないけれど、誰かが何かを聞けば、数日後に誰かが応答し、ほそぼそと続いている。

何について語られているかというと、道端で見つけたすてきな蛾の写真を上げたり、その美しさを讃えている。

誰かが写真を上げれば、まるで愛らしい子猫に向けるような賞賛が並ぶ。もふもふ。可愛い。きれいだな。妖精みたい。よく見つけましたね!と。とても優しく、まったりした時間が流れている。

「これの名前わかりますか?」と誰かが写真をあげれば、「エゾギクキンウワバですね」とすぐさま同定されるさまは、何度見てもうっとりしてしまう。

どうしてここに通ってしまうのかを自分ではよく分かっていて、自分が蛾という昆虫との距離を測りかねているからだ。好きなのか苦手なのか、いまだによく分からない。

父が唯一こわがる虫が、蛾だった。幼い私は昆虫図鑑を広げては、羽を大きく広げるクスサンのページを「めんめんめ!」と叩いて見せた。虫全般が苦手な母と、蛾が恐い父。ふさふさの触覚から家族を守ってあげられるのは、自分だけのような気がしていた。

それから少し成長し、実際に駅のホームや、街灯の下で蛾と出会うと、その地味で寡黙なたたずまいに、手出しなんてできなかった。粉で出来た、かそけき生き物は、すこしでも触れたら壊してしまいそうで恐かった。踏まないようにそっとそっと歩いた。

それから、大人になってからも折に触れて、蛾について調べていた。どうしても気になってしまう。苦手なのか、恐いのか、本当はすごく好きなのか、わからないままに。

調べていくうちに、どうやら蛾というものは成虫になったら口腔がなくなり、一切物を食べることが出来ない種も居ることを知った。ふらふら飛ぶのは、何も食べていないから。おなかの栄養がなくなったら、死んでしまう。私がかつて、図鑑のページを叩いた虫は、こんなに儚い生き物だったのか。

なんだか切なくなり、階段などで見かけるたびに、健康を祈りながら、足早に離れた。

その場所には、自分がうまく見つめることが出来ずにいるものを、研究心や愛情を持って愛でるひとがたくさん居る。

車通りの多い場所にいたサナギや幼虫を救う、小さなレスキューを何度もみた。眺めると、少しだけ気持ちが安らかになる。ぽっかり空いた穴がふわふわの優しいもので埋められていく心地だった。

最近はどうしているだろうか、と検索してみたら、新年の挨拶がごく短く交わされていた。敬語の挨拶と添えられたいくつかの生体の写真、それを楽しみだと褒める言葉が体中に染み渡っていく。

たぶんこれからも、私はここを定期的に訪れる。

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たけのこスカーフ
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