見出し画像

孫子の兵法・介護の兵法

 Bちゃんが入院した翌日。Gちゃんの朝昼晩のメシの支度と、生活の補助のために実家へ行った。Gちゃんには危機感というものがないらしく、

「で? バーサンはいつ退院すんのよ?」

 あのな。

 Gちゃんは便秘の浣腸レベルと思っていたらしい。昨日、術後にBちゃんの切れた腸を見たのに、もうこれだ。

「Bちゃんはとうぶん帰ってこれないと思うよ」

「とうぶんって、いつまでよ?」

「お医者さんに聞かないとわからない」

「おめぇ、ちょっと行って聞いてこいよ」

「うん。Gちゃんも一緒に病院行く?」

「行かね。俺ぁ病院はキレエ(嫌い)だ」

 じゃ、あとで電話するねと実家を出た。

 Bちゃんが入院している市立病院の近くに、地域包括支援センター、というものがある。

 介護申請をするときはまずここへ相談するのである。

 高齢者を抱える者にとっては力強い味方であり、このときも担当者さんに相談に乗ってもらった。

 Gちゃんの介護申請。
 Gちゃんのメシの手配。
 Gちゃんの生活支援の手配。
 ケアマネージャー依頼。
 介護計画の立案依頼。
 介護会社の選定相談。

 あたりから始めることにした。

 Bちゃんは入院前に要介護認定されていたが、Gちゃんは介護切れしていて無介護中である。

 二年ほど前、GBそろっての老人性引きこもりと、Gちゃんの暴力からBちゃんを守ろうと、デイサービス通所を企図したが、実現直前に覆滅したことがあった。

 その折りに公的介護について、一通り手続きをとったことがあったので、今回はすぐに行動することができたのである。

 即日、Gちゃんに、

 昼夜の配食サービスの依頼
 週一回ヘルパーさんの派遣依頼
 通院の際の介護タクシー依頼
 介護マネージャーさんに電話連絡

 以上の手配を済ませた。

 ところで介護には関係ないが、「孫子の兵法」という書物がある。

 むかーしの中国の軍師の著したもので、軍事のことが書かれている。

(歴史物の書物を読むとよく出てくる)(信玄公の風林火山も孫子の言葉とか)。

 人生訓あるいは処世訓として現代でも、サラリーマンが愛読するそうである。

 孫子の兵法の中でもことに有名なのは、「相手を知り自分を知れば勝てます」という意味合いの言葉で、これは介護にも通ずるものがある。

 介護保険制度を知り、ジジババを知らねば、介護戦にはとうてい勝てない。

 まず介護を受ける当事者である高齢者、その高齢者の性格および平時の行動パターン、当人の生活スタイルや好き嫌い、さらには、認知症とは何か? 認知症のお年寄りの心理、行動とは? 認知症のお年寄りの自由と尊厳、権利とは何か? ……といったあたりを知ることが序盤戦となる。

 認知症高齢者との介護戦は城攻めと似ている。

 自宅(城)を離れたがらない高齢者は、戦略もなく意地だけで籠城する城主に似ている。

 また、介護保険制度を利用するときに必ずクリアせねばならない役所方との戦いでは、相手方が『法』を御旗にしているだけに、ちょっと難儀。

 大小を問わず役所の基本理念は戦国時代中期までの、大規模寺社の利権と利益獲得行動に似ている。往時の各寺は宗派ごとに関所で通行料を巻き上げ、商品売買の独占を目的に座をもうけて利を吸い上げ、宗門の農民・職人からは寄進を巻き上げ、兵士を雇い、武力をもって統治して、政治向きのことにもおおいに口を出し、それを「宗徒のためである」と公言してはばからず。そのようにして存立していた。

 さすがに現代の役所は組織して無体な戦に及ぶことはない。彼らの基本は「正」である。悪人はいない。おおむね、善人なのである。窓口で面談すると、たいへん親切である。親身になって話を(たとえ愚痴でも)聞いてくれて、成年後見の方法や、裁判所対策、弁護士相談について、詳しく丁寧に教えてくれる。故に、かえって攻め方が難しい。ただし役所方が守りに入ったときは難攻不落。お役所は民が作ったのではなく、官側の人が調えたものだから、ま、当たり前っちゃ当たり前である。

 役所方の防具は「法律」「前例」。
 戦術は「手続き煩雑」「遅延」「書類繁多」である。
 戦に大事な兵糧(税)は万全。
 不足しているのは「行動力」「各部署の連携連絡」「判断力」「臨機応変」。
 調略は今までのところ、見かけたことはない。というより、戦略そのものがない。
 隠し芸は「たらい回し」。
 欠点としては「危機管理能力の不足」。想定外の事案には対応できない。
 それと、ミスをしたときの謝罪はゼロである。
 謝罪の代わりに「言い逃れ」。伝家の宝刀かもしれない。

 前出の孫子の兵法に、

「城攻めの場合、攻め方は、城方の数倍の兵を必要とする」

 と書かれている。

 といっても、たいていの場合、介護家族方は緒戦時の兵力は一。孤軍で攻め登らねばならない。

 まずは小口から小当たりに当たって様子を見ることになる。

 介護申請、第一陣に必要なのは

「高齢者の基本的なデータ」。

 住所氏名、電話番号、生年月日、通院している医療機関、認知症状態を把握しておく。

 認知症高齢者は健康保険証をしばしば紛失するので、コピーをとっておくと安心。

 攻城にあたって与力がいると心強い。

 与力筆頭はかかりつけ医である。GBのかかりつけのお医者さんに、今回の手術のことを報告がてら、Gちゃんの介護申請のために「主治医の意見書」を書いていただきたかったので、電話をかけたのち、ファックスを送っておいた。

 市役所での介護申請は三十分もあれば終わる。書類数枚書いて、暫定保険証を出してもらえばそれで済む。その際、申請する本人のことのみでなく、介護する家族側の状況、たとえば配偶者の病状や、おもに介護にあたるヨメムスメムスコ世代の状況も、一応は説明する。ちなみに、吹聴してでも大袈裟に説明したほうがいい。

「家族介護の場合、介護度が低くみられ、公的介護が受けにくい」ために、負担は家族寄りになる危険がある。(役所はそんなことはないと言うが、実態はそうである)。

 申請を済ませたら、高齢者本人をかかりつけ医師に連れて行く。

 その後、市役所が手配した調査員が、高齢者に会いに来る。これを訪問調査という。高齢者の家族も調査に立ち会って、あれこれ要望を出し「これこれの介護を受けさせたい」と、明確に示したほうがいい。

 今回、優先事案は「Gちゃんの安全」。Gちゃんには眼疾があり、ほとんど見えない。

 左足は持病の後遺症で歩行困難。さらに狭心症持ちで心臓に爆弾。認知症の自覚はない。

 それでいて、人の助けを乞うのは大嫌いである。だから人付き合いはしたがらない。

 家族以外の人の前ではものが言えない(気が小さい)。特に男性相手だと萎縮しビビリ過ぎて、相手が言っている言葉は頭に入らない。そのくせ相手の容貌などの特徴を覚えておいて、あとでこっそり「ハゲ」とか言うのである。自分だって十分ハゲているのだが、「俺はハゲちゃいねえよ」そのあたり譲らない。気だけは強いGちゃんなのであった。

 さらに今回、案じられるのは、今まで、

『家族(Bちゃん)を叱ったり怒鳴ったりして、ねじ伏せては、自分の威力を確認して満足を得る、という変な癖がついていた』

 ので、独居になるとはけ口を失って、認知症が進行する危険がある、ということだった。

 Gちゃんが、「配食サービスのメシが不味い、高い」「ヘルパーの掃除なんか要らん」「掃除機がうるさい」「介護タクシーが高い、来るのが遅い」と言い出すのは目に見えている。勝手に断ってしまう危険もある。各社に電話をして言い添えた。

「年寄りですから、妙なことを言い出すかもしれませんが、大目にみてやってください」

 配達員さんやヘルパーさん、ドライバーさん、ひとりひとりお願いする。皆さん、「大丈夫ですよ」と暖かく答えてくださった。

 以上をクリアして、とりあえず第一次G包囲網が完成した。

 緒戦はまずまずの成果である。これで大丈夫と帰宅してから気がついた。

 しまった、Bちゃんの面会に行くのを忘れてた!

 病院からは電話がかかってきて、

「面会にきてください、経過について説明もありますから」

 担当のお医者様に叱られ、アイタタタな一日となってしまったのだった。


 —『倉庫街の悪夢・家族介護敗北考』に続く—

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?