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介護無用の老夫婦


 Bちゃんが最初に大病して入院してから、通院入院検査手術と医者通いが四十年。

 Gちゃんも白内障手術に始まって、心臓バイパス・大腸の不調やら帯状疱疹やら、その他もろもろ病んで三十年。双方、相手が病気になったときは、

「アンタったらこんな病気して。いい迷惑だよ」

 BちゃんはGちゃんを責め、

「おめえはちゃんと摂生しねえからそんな病気になンだ、バカ」

 GちゃんはBちゃんをあざ笑う。

 といった具合で、ののしり合い&看病&小言プラス…の夫婦なんである。

 GちゃんはBちゃんが病気になると、

「自己管理がなってないからだ」

 と決めつけて、医師の指示に従わせようとしない。

 Bちゃんは医師の指示に従うべきところ、Gちゃんの、

「あの医者は信用できねえ。言うとおりにしたって治りゃしねえよ」

 という、間違った独断に踊らされて、病院のハシゴなんかしてるものだから、治るものも治らなかったりする。

 Bちゃんのほうはまた、Gちゃんが病気になると、心配のあまり自分が具合悪くなってしまう。
 
 三十年前のことになるが、Gちゃんの最初の白内障入院のときは、

「お父さんが死んじゃったらどうしよう!」

 Bちゃんは泣いたり吠えたり大騒ぎした。

「白内障の手術で死にはしないよ」

とわたしが言うと、

「アンタには優しさってもんがないよ!」

 今度は怒り出す。そんなこんなの夫婦歴六十年なのだった。

 Gちゃんを市立病院の眼科へ送り込んだその日、私が会社から帰ってみると、Bちゃんはトイレでぶっ倒れていた。すわ一大事、救急車を呼び、Gちゃんと同じ病院に担ぎ込んだ。

 Bちゃんが搬送されてきたと知ったGちゃんは、夜間救急の治療室へ憤然と現れて、

「何しに来やがったこのバカ!」

「アンタのことが心配で寝られなかったからでしょ!」

「手術受けるのは俺だ、おめーが倒れてどうすんだ!」

「人が具合悪くて病院に来たのにその言いぐさはなんなのよ!」

 とまあ、真夜中の病院で、怒鳴り合いの大げんかとなった。

 わめき合う夫婦の横で、

「母は今夜、入院するようでしょうか」

 私が医師に尋ね、

「お元気そうだから大丈夫でしょう」

 医師は苦笑いをしたものである。

 このときから三十年がたったが、まあ、変わらない夫婦ではある……。

 たいがいがこんな感じで、GBの看病看護介護手配あれこれは、長年私が引き受けてきて、合算すれば七十年ぶん。自分の年齢より長い年月である。

「おめーなんか育てて俺は大損した」

 みたいなことをGちゃんは言うのだが、看病介護に要した年月だけで言えば、元は取れたんじゃないかな。

 でもGちゃんのほうは「まだ取り返し足りない」と思っているらしい。そのへん、しっかりしているGちゃんである。

 さて話は戻って、2008年秋から冬へとGちゃんの角膜移植に向けて、入院前の検査通院が始まった。

 Gちゃんが他県の病院へかかるとなると、ちょっと困った事態になる。

 遠方の病院へ私とGちゃんが行っているあいだ、認知症のBちゃんは家でひとりぼっちだ。

 私とGちゃんが朝八時に新幹線に乗って、帰ってくるのは夕方五時。一日中ひとりになったBちゃんは不安がった。

「目なんか見えなくなったっていいじゃないの、遠くの病院なんかに行くことないよ。アタシをこんなに心配させて、なんて人でなしなんだろうね、アンタは!」

 Bちゃんの不安はそのまま、Gちゃんへの怒りである。

「うるせえ、俺が見えなくなったら、オメエなんかおしめえ(お終い)だッ、このバカッ!」

 大人げなくGちゃんが怒鳴り返して、あれよあれよと大げんかになる。

「ねえ、玄関先で怒鳴り合ってると近所迷惑だから。家の中に入ってからやったら?」

 私がそう言うと二人は大急ぎで家に入る。そのあと二時間くらい、らちもないけんかが続く。

 通院ごとに喧嘩したりそれをわたしが仲裁したりしているうちに、Gちゃんの入院は年明けと連絡がはいった。

「Gちゃんが入院しているあいだ、Bちゃんをショートステイに出したら?」

 私はGちゃんに何度も勧めた。

「ダメだ」

 Gちゃんは首を縦に振らない。

「バーサンは社会に出たことねえんだ。人とうまくやっていけるわけがねえ」

「Bちゃんを家に閉じ込めておいたのはGちゃんじゃん」

 Gちゃんは嫉妬深いのである。Bちゃんは多少ワガママだが、社会性ゼロではない。

『ニコニコして、ハイハイって言ってれば、それだけで人生三割はトクするもんなのよ』

 Bちゃんが私を育てていたときの名言のひとつだ。BちゃんはGちゃんよりは世渡り上手である。

「施設へは私が通うから。Bちゃんを、家でひとりにしておいたら危ないと思うよ」

 私は諦めず、Gちゃんの説得を続けた。

 このころBちゃんは火の始末が、かなりあやしいことになっていた。Bちゃんの台所には百を超える鍋がある。焦げていない鍋はない。

「ダメだ。施設は金がかかる。もったいない」

 Gちゃんはへらへら笑いながらも、意見を曲げない。

「ケチで言ってるの? Bちゃんのこと 本気で考えてる?」

「俺はケチじゃねえよ。金なら持ってる」

……あっても使わぬ隠居の金持ち……って言葉、知ってるか、Gちゃん。

「金があるならショートステイさせなよ。Bちゃんにもしものことがあったら、取り返しつかないじゃん」

 こちらも必死で食い下がったが、Gちゃんは考えを変えなかった。そのうち、

「アタシは老人ホームなんか行きませんからね」

 Bちゃんも参戦してきた。

「ショートステイだよ? ちょっといいホテルで大きなお風呂入ってお泊まりみたいなもんだって」

「じゃ、アンタ行けばいいじゃないの。アタシはいや。ああいうところはね、年寄りばっかりで面白くない」

 あのな。

 万が一を考えて、介護の手配だけはしておいた。

 日中は私が行くので問題はないだろうけれど、夕刻から夜にかけてが手薄になる。

 マネージャーさんと打ち合わせして、とりあえずは一か月程度、夕方、Bちゃんが炊事をする時刻から、入浴が終わるまで毎日ヘルパーさんに入ってもらう。いわゆる『見守り』介護である。

 入浴中に急に具合が悪くなったりした場合、誰かが気づかないとアウトだ。ヘルパーさんにはキッチンと風呂とストーブの火の元を確認してもらい、作業後、連絡をもらうという方法だった(結果としてこれは計画倒れに終わった)。Gちゃんが病院から帰ってくるまで、Bちゃんに安全に過ごしてもらわなくちゃいけない。

 年が改まり、二〇〇九年一月。

 Gちゃんが入院する日が迫ってきた。

 入院期間およそ三週間から一か月。

 この先どうなるのか? 

 案じているのは私だけで、BちゃんはGちゃんを入院させまいとけんかをふっかけるのに忙しく、Gちゃんは自分の目のこと以外には、なんの関心も持っていないのだった。

 
Gの入院の効果 に続く




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