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GBの二回崩れ〜介護申請失敗

 介護は内から崩れることがある。他でもない、介護を受ける高齢者が、せっかく整った介護計画をコナゴナに壊してしまうというケースである。

 烽火は私が締切複数を抱えて年末進行に差し掛かろうとしていた初冬に上がった。

 Gちゃんのかかりつけの眼科医から電話がかかってきて、
「家族への説明が必要なので、患者本人と一緒に来てください」
ということで、Gちゃんとともに病院へ行った。

 Gちゃんは約三十年前に、最初の白内障の手術をした。術後も目の状態は思わしくなく、数年おきに具合が悪くなって、そのたびに通院入院手術と、何度も治療を繰り返してきたのである。

 Gちゃんの目は長年の治療の甲斐もなく、弱り傷みして視力が落ち、重篤な角膜症になっていた。角膜が白変して濁り、視野も狭い。ちょうど、目の前にところどころ小穴の開いたティッシュペーパーを当てたような、見えなさ加減である。

 医師は眼球の画像を私に見せ、てきぱきと説明した。

「このままですと近いうちに両眼とも失明します。角膜移植をおすすめします。信頼できる眼科医が○○県にいますので、移植手術を受けるなら紹介します」

 失明と聞いて震え上がったGちゃんは、移植手術を受けるとその場で決めた。

 そうと決まれば急がねば。ただちに包括センターへ電話した。認知症のBちゃんの状態と、失明直前のGちゃんの入院予定を手短に説明すると、職員さんが翌日には来てくれて、

「すぐに市役所へ介護申請の手続きに行ってください。暫定で保険証が出るでしょう」

と教えてくれた。その日のうちに市役所へ飛んでいき、申請したい旨を告げたところ、

「お母様の暫定は出せますが、お父様のほうは出せません」

「父のぶんが出ない……って、どういうことでしょう。今でもほとんど見えてなくて、退院後は眼帯で出てくるから、どうしたって介護は必要だと思いますが」

 市役所の返事はこうだった。

「利用者(Gちゃん)が退院後にどういう状態になるか、今の時点ではわかりません。高齢者が入院すると認知症が著しく進んでしまって、介護度が変わる可能性があります。ですから今はお出しできません」

「現在でも介護は必要な状態なんです。入院前から利用したいと考えてるんですが」

「でも、お父様はじきに入院されるんでしょう? 申請には本人への聞き取り(訪問調査)が必要ですから、在宅されていないと困ります」

「おそらく入院は年明けです。それまで二か月以上あります、訪問調査は通常一か月先と聞きました。ですから暫定で出していただいて、入院前に介護を受けておきたいんです」

 GBそろっているときから、介護を受けておけば、GBも人に慣れて、Bちゃんひとりになったときも、おそらく『他人が来た』という抵抗感は少ないだろうと、私は考えていた。そのためにもぜひ今から介護を入れておきたい。

 とにかく、と職員は言った。

「これから入院、というかたの申請は受け付けられません」

「登録の手続きだけでも」

「それもできません。退院後にもう一度、市役所までおいでください」

「車で往復一時間かかるんですが」

「……」

「だめですか」

「残念ですけど」

 全然残念そうではなく、だめなものはだめ。

 ということである。手強いぞ市役所。

 ここで教訓を得た。

 介護申請をするときは、当事者に入院予定があるなどと言ってはいけない。

 さて、夫婦世帯でひとりが介護認定(暫定)を受けても、もうひとりが受けられないとなると、やっかいである。つまり、Bちゃんのぶんの食事作りの介助は頼めるが、Gちゃんのぶんはしてもらえないということになる。
 じゃ、Gちゃんのメシは誰が作るんだ? Bちゃんである。それは介助してもらえない。なんのこっちゃ、である。

 家事などのように、ふたりぶんまとまった作業の場合、Bちゃんオンリーの介護とは何か、判断が難しくなる。その場合はふたりとも、介護は受けられないわけだ。

 Gちゃんは家事はいっさいしない。

 Bちゃんは家事力が落ちて、朝ご飯を作るのに三時間ほどかかる。炊飯スイッチがどれなのか、わからなくなっているので、保温スイッチだけ押しておいたりするから、炊き損じも多く、食べられないこともある。

そういうとき、「遅い、不味い、バカ」

と怒ることがGちゃんの主なお仕事である。

 Bちゃんはおろおろと炊き損じ米を捨てる。Gちゃんは居間の椅子に座ったきり、Bちゃんを罵倒しているだけの状態だ。こんなわけでBちゃんは、

「台所仕事がつらいわ」

 泣いたりしているんである。

 かろうじてBちゃんは洗濯機は回せる。しかし、洗濯後の服と着用後の服の区別はできなくなっている。洗うべきものを洗わず、洗わなくていいものを大量に洗い、汚れ物と生乾きをいっしょにして、手当たり次第に引き出しに押し込む。タンスの中は異なニホイという結果になる。

 タンスに濡れシャツだけでコトは終わらない。茶箪笥にパンツ。味噌に印鑑。冷蔵庫にバッグ。なんてこともある。

 それらを探し出しては仕分けして、洗って干してしまい直すのは私であるが、全部を完璧に片付けることはできない。私が直したあとにBちゃんが直し直すので、元の木阿弥お手上げです、が現状である。

 買い物となるともっと悲惨で、Bちゃんひとりで出かけると、カゴにトマトを入れたことを忘れて何度もトマトをカゴに入れ、帰路は大量のトマトをヒーヒー言いながら運んで帰る。豆腐と玉子とほうれん草は買い忘れてくる。

 では、というのでGちゃんも一緒に行くと、もっと悲惨なことになる。Bちゃんが買おうとするものを、

「そんなモン要らん、バカ」

「くだらないもんばっかり買いやがって」

「ナニ、重いから持ってくれだぁ? 俺は荷物持ちじゃねえぞ、このババア」

という具合に、横合いから怒鳴りつけるので、Bちゃんは動揺して混乱し、カゴを持ったまま泣きながら店から逃げ出して、

「お客様、ちょっとお待ちください」

 万引きの疑いをかけられてしまったりする。

 で、私がGBに同行することになる。私はGちゃんの言いなりにはならない。

「Gちゃんてば、文句ばっかりだね。紙に『文句ったれ』って書いて顔に貼ったら?」

「バーカ、俺は文句なんか言ってねえよ」

「じゃ、黙ってな」

 Gちゃんは黙ってしまい、Bちゃんはきゃっきゃと笑って喜んだ。

 Gちゃんは面白くないらしくて、棚の大根のひげ根をむしって、

「洗いかたがなっちゃいねえ」

 野菜に文句を垂れたりするのだった。

 この状態の夫婦を、介護制度では救えない。

 市役所の返事は要約すると、「動ける人(つまりGちゃん)が、ふたりぶんの食事を作り、掃除をし洗濯をせよ」ということになる。

 それはね。無理なんですよ。第一、Gちゃんは「ほぼ見えない」人である。GBそろって暫定を受けられなければ、今回の場合、なんにもならないのだ。

 そうとなれば次なる一手は、自費の実費でヘルパーさんに来てもらう方法である。多少割高だが(一時間二〇〇〇円から二五〇〇円程度)、私と交代で一日おきに、二時間ずつ来てもらって月に六万円程度。

 ケチケチGちゃんが支払いを渋ってもこの金額なら私にも払える。介護のために仕事を止めているから、収入はないが多少の貯金は残っていた。

 ところがこれにBちゃんが激しく抵抗した。

 ヘルパーさんはたいていの場合女性である。Bちゃんは、

「アタシ以外の女」が「アタシの家に入り込んできて」「アタシの仕事を取り上げる」と感じるらしく「絶対、イヤ」。

 三日目には鍵をかけてヘルパーさんを家の中へ入れなかった。

 さあ、万事休す。序盤戦は全敗である。

 
  介護無用の老夫婦 に続く


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