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忘却の薬


 Bちゃんの7大疾病は、認知症・糖尿病・高血圧、腎臓(弱)・高コレステ、便秘症・膝痛である。

 毎月、かかりつけ医から一ヶ月分の薬が出る。

 かかりつけ医は前年の『倉庫街の悪夢』のあと、「家族の介護が手厚いと公的介護は入りにくいものなんです」とアドバイスをくださった、あの先生だった。

 先生のアドバイスを一年経っても、まったく守れていないのが情けないが……。
 その日、Bちゃんの血液と尿の検査をして内診があり、

「今のところ大丈夫そうですね」

 先生の言葉にほっとする。

「Lさん、お母さんは毎日のお薬、ちゃんと飲んでます?」

「今までは父が見てくれていましたが……飲み忘れもあったようです」

「どれくらい飲んでないか、わかりますか」

 Bちゃんは薬の袋をテレビ横の棚に全部置いているので、最近の飲み忘れぶんは調べられるかもしれない。

「今日でなくてもいいですから薬の残量をお知らせください」

ということになり、Bちゃんを連れ帰ってから薬袋を確認した。
 そして驚くべきことがわかった。薬の残量がただごとではない。
 おおむね一年前から現在まで残数一二〇余り。

 つまりBちゃんは、一年のうち四か月ぶんの薬を飲んでいなかったのだ。

 これは……ヤバイよBちゃん。薬の袋を見ながら数年前のことを思い出した。

*閑話・携帯電話

 かつてGBの状態が今ほどではなかったころのこと。私がGB用に携帯電話を買って、

「薬の飲み忘れ防止のために、『今飲んだよメール』を送れるように、携帯を使ってみたらどうかな」提案したことがあった。

「メンドくせえよ」

 Gちゃんが一蹴した。

「じゃ、飲むごとに電話てのはどう?」

「そこまでヒマじゃねえよ」

「一日一回、朝だけでいいから、飲んだあとで電話してくれないかな」

 認知症の薬もあるから、朝だけは飲んでほしい。だがGちゃんの返事は、

「べつに飲まなくたって死にやしねえよ」

 Gちゃんは携帯電話を扱えない。メールどころか電話をかけることもできない。

「使い方、教えるから。そのわりに簡単だから」

 食い下がる私に、

「アタシ使ってみたいわ」

 Bちゃんが手を伸ばしたが、

「バカ、オメエなんかに使いこなせるか」

 Gちゃんが叱りつけた。

「取説見りゃわかるだ」

 なーんて言っていたが、ホントのところは携帯電話がわからんと、認めるのがイヤさに完全拒否に出たんである。
 私が用意した携帯に手も触れなかったし、Bちゃんにも触らせなかった。 

 しょうがないので半年後、携帯電話を引き取って持ち帰った。充電のしかたもわからんかったとみえて、ホコリをかぶっていた。

「ンなもん、なんの役にたつだ、くっだらねえ」

 みたいなことをGちゃんは言ったが、それは機械の問題ではなく、Gちゃんの問題なのだ。
 どんな道具も機械も、使わなければ役には立たない。
 私は携帯電話を置物にせんがために買ったのではなく、Bちゃんの薬の把握のために買ったのだ。
 手にとって使ってこそ役立つ機械なのである。

 閑話休題。携帯はさておき

 その結果がBちゃんの年間四か月ぶんのお薬飲み忘れだ。

 朝の薬の袋には認知症患者にはおなじみのアリセプトが入っている。
 治すことはできないが、進行を遅らせる大事な薬だ。
 しかし朝の薬はどうしたって、電話で確認するしか方法がない。
  だって、毎朝通えるか? 
 私の家からGB宅まで昼は往復一時間で行ける距離だが、朝は通勤車で渋滞して往復二時間。
 だからこそ、電話で連絡できるように、携帯電話を買ったのに。
 しかもケチケチGちゃんが電話代を惜しむから、本体も利用料も私持ちなのに。

 一日一分の手間を惜しんで意地張って、飲まない薬をため込んで、それで何かいいことがあったのかGちゃんめ……。とまあ、ここにはいないGちゃんをエアパンチで殴ってみる。

「何してるの、Lちゃん」

 パンチをBちゃんに見られてしまった。

「Bちゃん、私もう一度、病院に行ってくるよ」

「あらそう。どこか悪いの?」

「うん。性格」

「あらまあ、フフフ」

 Bちゃんは笑った。


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