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いつか来る『決断のとき』

その1  施設入居

今回のテーマは小説にしたほうがわかりやすいかな? と迷ったのですが、体験談も含む内容になりますので、コラム形式で書くことにしました。

認知症の両親の介護を続けていくと、避け得ない『決断のとき』というものが巡ってきます。
何を決断するのかというと、

 1.施設入所させるか否か
 2.人工栄養(胃ろう等)をつけるか否か
 3.施療中止か継続か
 4.身体拘束に同意するか否か
 5.自然死を肯定するか否か

これらを、家族側として判断する、選択する。
そういう『とき』です。

ちなみにわたしも一通り体験しました。
一人っ子でしたから、各機関から『どうしますか』と尋ねられたら、わたしが『こうする』と決めなければならない。
上記項目の1から5まで、それぞれに難しい判断であり、迷いも生じます。個々の事情にも左右されるでしょう。
ですからこれから書くことは判断のひとつの形であり、正否を問うものではありません。一例として、書いてみます。
五項目ありますので、掲載は分割します。ひとつめは施設入居について。

1. 施設入居

高齢者数4000万人時代。
認知症高齢者 500万人〜800万人。
これほど多くの高齢者を介護家庭と社会で支えるという事態は、日本の歴史上初めてのことです。
高齢者介護の状況について(システムとしての介護)、過去のどのような経験も知恵も、今の時代、これからの時代には通用しません。

公的介護の柱は介護制度です。制度が作られてからまだ二十年未満ですが、すでに問題点がいくつか見られます。
介護制度について書かれた本を何冊か読んで調べてみたところ、制度制定に際してベースになったのは、
『専業主婦一名が家庭における家事と介護と育児(+仕事)をワンオペ』
『そこに週に一度か二度、一時間から二時間程度の補助を入れよう』

という考え方のようでした。

介護全体を下支えする制度ではなく、介護をしている(おもに)主婦層が、
『自由時間を1時間、千円少々で買う』
という選択肢を得られる。それに近かった制度です。
なので、介護予算もその範囲で済ませることができる程度に組まれていたのでしょう。けれども、
独居の高齢者の二十四時間介護
あるいは疾病や重度の障害があるケース
介護家族不在・介護要員不在のケース
主婦が長時間労働に関わる仕事を持っているケース
主婦に持病がある、あるいは身体が弱いなど介護困難なケース
家を離れている単身赴任家族・別世帯の家族による遠隔介護
…については、きめ細やかな『介護の最適化』が求められます。
個々の事情に合わせて、フレキシブル介護計画とでもいいましょうか、柔軟なプランとその実施が必要です。
そのあたりについて介護制度では最初から考慮されていませんでした。

家庭での介護に重心を置いた施策でしたから、施設利用の介護については『増加することは想定外』だったのかもしれません。
施設は建物等の建設、整備、維持に多額の費用が必要です。事業費は削れませんから、人件費でやりくりしようとします。その人件費を政策でさらに切り詰めようとしている。介護士を確保し、介護の質を保つのはたいへんなことです。
病院から押し出された高齢者、待機人数(施設の空き待ちの人数)はただごとではなく、特養三年待ちはごくあたりまえになってきています。

このような状況であっても、施設利用の介護はどちらかというと、これから後退してゆくと思われます。
高齢者を病院と施設から家庭へ送り返す。これは国策です。

けれども、施設は防波堤なのです。
介護の担い手が倒れたり介護過労死したり、介護家族が加重のために崩壊したりするのを防ぐ、防波堤。

親を介護施設に入れるということに対して、強い抵抗感を示す人々がいます。(抵抗感のある人々を批判しているわけではありません)
介護される当事者、高齢者さんも往々にしてそうですが。
また、介護に当たっていない兄弟姉妹、親戚、ご近所さんからも、圧力がかかることがある。そこから聞こえてくる声はというとですね。
『最期まで家にいたかったでしょうに、気の毒に』
多いのはこれです。
他にも、
『本人は納得したの?』
『施設に入れなくちゃいけないってふうには見えなかったけれどね』
『こういうご時世だからしかたがないのね』
あたりがそれに続く。

高齢になってから『処移りするのは良くない』という説があります。
環境が変わると状態が悪化するという意味です。
今まで暮らしていた家、なじんだ家具、見慣れたご近所の景色。そうしたものに囲まれて暮らすことが晩年の幸福。
残り少ない人生なら、望み通りにしてあげたい。それも家族の人情。

そう思っているから、介護がどんなに大変でも、施設入居に二の足を踏んでしまう。
『親を施設に入れたら姥捨て? もしかして親不幸? 
このまま介護を続けていくことが本音ではつらい。
自分の生活を取り戻したい。
施設利用してみたい。
でもそのことに罪悪感を感じながらこの先の人生を生きる羽目になるのもどうなんだろう……』
と言う具合に、介護側の心の秤が揺れてしまうわけです。

『施設、考えてるんだけど。夫と夫の親戚が猛反対で。長男の嫁なんだから介護は覚悟してたはずでしょとか言われて。どう思う?』
こう聞かれたとき、わたしは迷わず答えています。
『入れるなら施設にお願いしたほうがいいと思うよ。たとえ短期間でも、ショートステイでも。利用しているうちに慣れて、高齢者さんが施設になじむこともあるから』

(何度も言うけど!)
介護を終えたあとも、人生は続くんですよ。
介護で潰れちゃいけないんです。
自分の家庭のあるひとの場合、お母さんが介護で潰れたら、子どもの人生も潰れてしまう。家庭が壊れてしまう可能性もあるんです。
また、子どもがいないひと、結婚していない娘、息子、あるいは孫、無職のひと、一見暇そうに暮らしているひと、その他どのような状況のひとびと、誰であっても。
介護に関わっていない他人からの『家で介護せよ』圧力に負けて自力で介護した結果、万が一あなたが倒れたとしても、その他人はあなたを決して助けたりしない。

そして、施設に入れたら介護は終わりってわけじゃない。ってことも、心にとめておいてください。
わたしの母が入所した施設は、月に一度は訪問医が診察し、看護師数名が毎日常駐していて、さらに介護に関しては非の打ち所のない、手厚いケアをしてくれる有料老人ホームでした。
それでも、母の持病の定期検診、通院付き添い、薬の手配、介護課や障害福祉課とのやりとり、必要な装具の補充、衣料品の補充、急な入院時にはその手配と、わたしがやらなければならないことはいくつもありました。
施設入居しても家族による介護は続くのです。毎日の16時間介護が、2日に1回6時間程度(往復時間含む)になる。それが両親が施設入居したあとの、わたしの平均介護時間でした。

次に、施設入居の利点について、書いてみます。
母の場合は、施設で介護を受け、介護士さんの丁寧なケアを受けて、ここで安心して暮らしていけると思ったときから、認知症の進行はゆるやかなものになっていきました。
父と母の老老ふたり暮らしで溜め込んだストレスが次第に消えてゆき、表情も明るくなり、冗談が言えるようになった。
家で暮らしていたとき、母は認知症の進行にともない、さまざまなことがしだいにできなくなっていきました。
思い通りにできない辛さのせいでいらいらしつつも家事をする母、それを父が端から『どうしてこんなこともできねえんだ』と責め立てる。
母は家事に一日の大半の時間を費やし、外出もままならない。父は視力の衰えとともに外出しなくなっていきました。そしてふたりして引きこもりがちになり、毎時間ごとにけんかになる。ストレスのために父も母も認知症がどんどん進んでいくという、悪循環だったのです。
施設入居後、その母に、笑顔が戻った。
家庭内引きこもり状態から、望ましい社交環境へと変わったことが吉と出た例です。


父のケースも書きますね。
グループホーム入所後、一か月ほどは人見知りしていました。
父は母より認知症の度合いは軽かったのですが、母の容態が急変して緊急入院したあと独居十日目に、せん妄が始まりました。
妄言と幻視はエスカレートし、とくに妄言の内容が危険なものを含んでいたので、家族としては生きた心地もしませんでした。それでも半年ほどはわたしが通って様子を見ていました。
やがてかかりつけ医から『このままだと取り返しがつかない事態になるかもしれない。入院させたほうがいい』とアドバイスがあり、そこで三か月ほど認知症高齢者を保護してくれる精神病院へ入院。そののち、グループホームへ入所、という運びです。
病院でせん妄は軽減し、ホーム入居からは半年ほどで『人のいい、物静かな、ときどき面白い冗談を言うおじいちゃん』になった。
母と父とで暮らしていたころの、壮絶なけんかと罵倒の日々、目が見えない不安とストレスから来る八つ当たり、被害妄想、暴言、暴力行為、そうしたものがすっかり消えたのです。

父と母とで家にいたころと比較すれば、施設に入ってから明らかにふたりとも精神的に安定し、言動がおだやかになり、笑顔が増え、会話もはずむようになりました。

施設入居の利点は『安心』。
安心な状態が保たれることで、認知症の諸症状が緩和されます。

老いは止められません。でも、老いつつ笑顔でいられる時間が増える。
それはきっと、本人にも幸せ。そして家族にも幸せなことでした。

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【施設入居という決断】まとめます。

施設は選択肢のひとつ。
入居即可哀想ということではありません。
施設を利用することを『親不孝かも?』と思う必要はない。

入居後の幸福度については個人差はもちろんあります。
施設間差もあるでしょう(悩ましいところですが…)。
施設にいるのは介護のプロです。
家族にはできない介護もプロならできる場合があります。

介護方針と介護体制、設備と価格。
入居者の快適さや安全について、また相性について。
比較して、精査して、良い施設を選んでください。

そして、介護を担ってゆく介護びとの人生を大事に。
あなたの人生をたいせつに。

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