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【大人の流儀 伊集院 静 心に響く言葉】 第92回




大人の流儀

 伊集院 静氏の『大人の流儀』から心に響く言葉をご紹介します。私は現在『大人の流儀』1~10巻を持っています。このうちの第1巻から心に響く言葉を毎回3件ずつご紹介していこうと考えています。全巻を同様に扱います。

 時には、厳しい言葉で私たちを叱咤激励することがあります。反発する気持ちをぐっと堪え、なぜ伊集院氏はこのように言ったのだろうか、と考えてみてください。しばらく考えたあとで、腑に落ちることが多いと感じるはずです。

『大人の流儀3 別れる力』をご紹介します。

 ご存知のように、伊集院氏は小説家(直木賞作家)で、さらに作詞家でもありますが、『大人の流儀』のような辛口エッセーも書いています。


大人の流儀 伊集院 静 心に響く言葉 第92回

第4章 本物の大人はこう考える


「恥知らずの行為は生死にかかわる」から

伊集院 静の言葉 1 (273)

 日本中の各家が一斗缶に瓦礫を刻んで入れて、密封し、”震災はここにも”とでも書いて孫の代まで触れてはならぬものと置いておけば済むのではないか。
 瓦礫も、両親を失なった子供も、日本人の大半は同等に考えているのではあるまいな。そういうおそろしい精神が今、日本人のこころの中にはびこっているということはないのか。
 恥を知れ。人間としての、恥を知れ。     

大人の流儀 3 別れる力 伊集院 静 


「恥知らずの行為は生死にかかわる」から

伊集院 静の言葉 2 (274)

 年金問題で、今の若者に、年寄りたちの暮らしを助けるためにも年金を払ってくれ、と言う。バカを言え。今、年金を支給されている連中で、年金は他の年寄りを助けるために毎月支払っていたと口にできる年寄りがどこにいる。いたら連れて来い。それを今になって若者にそうしろと言って、言うことを聞く若者がいるはずがない。痛みを分かちあえ?
 なら日本中の若者に被災地の瓦礫を取りに行け、と言いたい。
 恥知らずな行為をすることは、大人の男にとって生死にかかわることである。

大人の流儀 3 別れる力 伊集院 静 

                             


「グリーン車に乗るバカな若者へ」から

伊集院 静の言葉 3 (275)

「そりゃ今でも、女、子供なら、三、四人はかかえてどこまででも歩いていけるわい。男として当たり前のことじゃろう」
 亡くなった父が平然とそう言ったのは、彼が六十歳をいくつか過ぎた歳だった。
 今の私に(六十一歳)、それができるか。
 身体を鍛え直さないといけないと、この頃、つくづく思う。
 東京、仙台間は速い電車に乗れば一時間四十分くらいだ。つい数年前までは飛び乗った電車の指定席が満員だと、平気でデッキに立って流れる風景を見て過ごせた。
 それがこの頃は途中でしゃがみたくなってしまうことがある。足、腰が弱ったこともあるが、それ以上に気力が萎えている。
 楽を身体が覚えてしまっているのだろう。
 ヤワなことである。

大人の流儀 3 別れる力 伊集院 静 


⭐出典元

『大人の流儀 3 別れる力』

2012年12月10日第1刷発行
講談社


表紙カバーに書かれている言葉です。

人は別れる。
そして本物の大人になる。


✒ 編集後記

『大人の流儀』は手元に1~10巻あります。今後も出版されることでしょう。出版されればまた入手します。

伊集院静氏は2020年1月にくも膜下出血で入院され大変心配されましたが、リハビリがうまくいき、その後退院し、執筆を再開しています。

伊集院氏は作家にして随筆家でもあるので、我々一般人とは異なり、物事を少し遠くから眺め、「物事の本質はここにあり」と見抜き、それに相応しい言葉を紡いでいます


🔷「恥知らずな行為をすることは、大人の男にとって生死にかかわることである」

大人の流儀は実は、大人の男の流儀だということがこの言葉からも分かります。男を漢と表現することがありますが、私は「男」で良いと思います。

それはさておき、今回取り上げた3つの言葉に対し、反感を抱いた人がいたかもしれません。それでも良いと思います。感性はみな違います。

恥知らずな行為をすることは、大人の男にとって生死にかかわることである、と言い切ってしまうところに伊集院静の存在理由があると思いました。

『無頼のススメ』(伊集院静 2015年2月1日 発行 新潮社)の冒頭に「『頼るものなし』ということ」という一節があります。
私はこの一節が通底していると感じています。

少し長くなりますが、引用します。

 最初に、「無頼」とはどういうことか、定義らしいことを話しておきます。
 無頼とは、単なる外見上の恰好や振る舞い、他人に対する無礼な態度とは違うし、人と群れないアウトサイダーであっても、孤立したドロップアウトとも違う。
 あくまで、その人の心の持ち方、生きる姿勢のことをいう。
 無頼とは読んで字のごとく、「頼るものなし」という覚悟のことです。
 何かの主義やイズムにせよ、他人の意見にせよ、自分の頭と身体を使って考えるのではなく、いつも何かに寄りかかって生きようとする人には、狭量さと不自由さがついて回ります。
 しかし、頼るものなし、と最初から決めていると、まず他人に対して楽でいられる。
 自分は、何かや誰かに頼って生きるのではない。
 腹の底でそう決めておけば、他人にどう思われようがどうでもよくなってきます。
 無頼でいることで、何か急な厄介事が起きても、いちいちじたばたしなくて済む。
 もともと何ものにも頼っていないのだから、いちいち誰かに伺いを立てたり、策を弄したりしなくても、後のことはなるようになると落ち着いていられる。
「頼るものなし」
という姿勢ができると、周りに振り回されて右往左往することがなくなります。 

無頼のススメ 伊集院静 pp. 3-4  


私は到底無頼にはなれません。


🔶『大人の流儀3 別れる力』について『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』の中で言及しています。

伊集院静と城山三郎
『別れる力 大人の流儀3』
私が伊集院静さんに興味を持ったのは、彼の先妻が女優の夏目雅子さんであったこともありますが、『いねむり先生』という題名の小説を読み、不思議な感覚を味わい、また『大人の流儀』という辛口のエッセーを読んだからです。 

由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い p. 212


夏目雅子さんのプロフィール



🔶伊集院静氏の言葉は、軽妙にして本質を見抜いたものです。随筆家としても小説家としても一流であることを示していると私は考えています。



<著者略歴 『大人の流儀』から>

1950年山口県防府市生まれ。72年立教大学文学部卒業。
91年『乳房』で第12回吉川英治文学新人賞、92年『受け月』で第107回直木賞、94年『機関車先生』で第7回柴田錬三郎賞、2002年『ごろごろ』で第36回吉川英治文学賞をそれぞれ受賞。
作詞家として『ギンギラギンにさりげなく』『愚か者』などを手がけている。


⭐ 原典のご紹介



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大人の流儀 伊集院 静


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