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【大人の流儀 伊集院 静 心に響く言葉】 第94回





大人の流儀

 伊集院 静氏の『大人の流儀』から心に響く言葉をご紹介します。私は現在『大人の流儀』1~10巻を持っています。このうちの第1巻から心に響く言葉を毎回3件ずつご紹介していこうと考えています。全巻を同様に扱います。

 時には、厳しい言葉で私たちを叱咤激励することがあります。反発する気持ちをぐっと堪え、なぜ伊集院氏はこのように言ったのだろうか、と考えてみてください。しばらく考えたあとで、腑に落ちることが多いと感じるはずです。

『大人の流儀3 別れる力』をご紹介します。

 ご存知のように、伊集院氏は小説家(直木賞作家)で、さらに作詞家でもありますが、『大人の流儀』のような辛口エッセーも書いています。


大人の流儀 伊集院 静 心に響く言葉 第94回


第4章 本物の大人はこう考える


「大人が人前で取るべき態度」から

伊集院 静の言葉 1 (279)

 目線をちゃんとしろ。
 私は子供の時、父親からそう言われた。父はあまり多くのことは言わなかったが、男子の所作についていくつかのことを私に注意した。
 目線をちゃんとしろ、とは、きょろきょろするな、ということである。
 男が表に出て、目をきょろきょろさせるのは良くないということである。
 私は、元来、好奇心が強かったらしく、外に出て何か自分が目にしたことがないものを見ると、それを喰い入るように見た。
 子供の時、父と二人で出かけたことは一度しかなかった。それでも電車に乗ると、車窓を流れる風景に釘付けになった。
 一心に見ているだけだから父は怒らなかったが、食堂車に行き、周囲の人が珍しく、きょろきょろすると、
「目線をちゃんとせんか」
 と低い声で言われた。

大人の流儀 3 別れる力 伊集院 静 


「大人が人前で取るべき態度」から

伊集院 静の言葉 2 (280)

 作家の城山三郎さんから聞いた話だが、或る時、城山さん夫人が横須賀線に乗車すると目の前の席に元国鉄総裁の石田礼助翁が座っていた。城山氏の著書に石田翁を長く取材し書き上げた『「粗にして野だが卑ではない」__石田禮助の生涯』(文春文庫)と題された作品があり、その著が出版され話題になっていた。
 夫人は石田翁に自分は城山の妻であり、その節の御礼を言わねばと挨拶の機会を待った。ところが老人は一点を見つめたまま姿勢を微たりとも崩さず、見ようによっては何か怒っているようにも映り、とてもではないが女性が声を掛けられる雰囲気ではなかった。それでも人間だからいつか肩の力が抜け、吐息のひとつでも零すこぼすことはあろう、と夫人は機会を待ったという。気が付けばとうとう新橋駅に電車が着き、老人はむくっと立ち上がり電車を降りた。夫人は大きく息をして肩を落とされたという。
 城山さんはこの話を私にされた時、作家は嬉しそうにこう言われた。
「そういう内でも外でも姿勢がきちんとした大人が昔は日本にいくらでもいたんでしょうね」
 城山さんと二人で電車に乗ったことがあったが、やはり目線、姿勢を微動だに崩す人ではなかった。
 その行動が良いのか、悪いのかと現代人に問えば、百人中九十九人が、何のためにそうしなくてはならないの? と首をかしげるに違いない。 

大人の流儀 3 別れる力 伊集院 静 

                             


「大人が人前で取るべき態度」から

伊集院 静の言葉 3 (281)

 今は電車に乗り、背もたれがリクライニングになるとわかれば十人中半分がそれを平気で倒し、うしろの席のことなどおかまいなしである。タダで使えるものは使わねば、というふうにもうかがえる。ひどいのになると靴を脱ぎ靴下の足を組んでふんぞり返る。
 それがほとんど五十歳から七十歳くらいの男である。戦後に幼年期を過ごした男たちだ。このあたりの連中は気質たちが悪いのが多い。金を払ってるのだから、と口にする。
 そういう輩は決まって、この頃の若者は行儀がと言う。
__おまえたちがそんな恰好を公共の場でしておいて何が若者だ。
 と私は思う。
 野村証券のインサイダー取引をしたのも、AIJという年金運用をした首謀者と、彼と結託してしたい放題にやった証券会社の男も、皆この年齢である。
 彼等には人品というものがない。目先の金にしか目の玉が動かないのである。それを卑しいと考えたこともないのだ。 

大人の流儀 3 別れる力 伊集院 静 


⭐出典元

『大人の流儀 3 別れる力』

2012年12月10日第1刷発行
講談社


表紙カバーに書かれている言葉です。

人は別れる。
そして本物の大人になる。


✒ 編集後記

『大人の流儀』は手元に1~10巻あります。今後も出版されることでしょう。出版されればまた入手します。

伊集院静氏は2020年1月にくも膜下出血で入院され大変心配されましたが、リハビリがうまくいき、その後退院し、執筆を再開しています。

伊集院氏は作家にして随筆家でもあるので、我々一般人とは異なり、物事を少し遠くから眺め、「物事の本質はここにあり」と見抜き、それに相応しい言葉を紡いでいます


🔷「ほとんど五十歳から七十歳くらいの男である。戦後に幼年期を過ごした男たちだ。このあたりの連中は気質たちが悪いのが多い。金を払ってるのだから、と口にする。
 そういう輩は決まって、この頃の若者は行儀がと言う」

この一節は耳が痛いです。
私がその年齢の範囲に収まっているからです。
もちろん、同様なことはしませんが、周囲の人たちからは「同類だ」と見なされているかもしれません。

年齢を重ねると、自分の行動が見えなくなり、良いことなのか悪いことなのか冷静な判断ができなくなるのかもしれません。


⭐伊集院静氏は城山三郎氏について言及しています。お二人に交流があったことはこの著書で知りました。

城山氏の著書で強く印象に残っているものは『そうか、もう君はいないのか』(平成22年8月1日発行 平成24年11月15日 12刷 新潮文庫)です。

購入したのは2015年9月19日のことです。妻が亡くなったのが同年8月8日ですから1ヵ月後のことです。

この著書を読んだのは、私の個人的な体験と重ね合わせて、心に響いたからです。

妻の死後、私はなかなか心の整理ができず、これからどうして生きて行けばよいのかと考えると、辛くなることが多くありました。

そのような時、アマゾンで検索し購入したのがこの著書でした。最初は小説かと思っていましたが、城山氏の死後に発見された手記でした。

そこには奥様への感謝と、奥様を亡くした深い悲しみが延々と綴られていました。読んでいくうちに涙がとめどなく流れ出しました。

城山氏は奥様に先立たれてから7年後に亡くなられました。心身ともに疲れ果て、生きていくことが辛くなったのかもしれません。

タイトルになった個所をご紹介します。

 四歳年上の夫としては、まさか容子が先に逝くなどとは、思いもしなかった。
 もちろん、容子の死を受け入れるしかない、とは思うものの、彼女はもういないのかと、ときおり不思議な気分に襲われる。容子がいなくなってしまった状態に、私はうまく慣れることができない。ふと、容子に話しかけようとして、われに返り、「そうか、もう君はいないのか」と、なおも容子に話しかけようとする。

『そうか、もう君はいないのか』 城山三郎 
(平成22年8月1日発行 平成24年11月15日 12刷 
新潮文庫)pp. 134-135 

   


(3,544文字)


🔶『大人の流儀3 別れる力』について『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』の中で言及しています。

伊集院静と城山三郎
『別れる力 大人の流儀3』
私が伊集院静さんに興味を持ったのは、彼の先妻が女優の夏目雅子さんであったこともありますが、『いねむり先生』という題名の小説を読み、不思議な感覚を味わい、また『大人の流儀』という辛口のエッセーを読んだからです。 

由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い p. 212 


夏目雅子さんのプロフィール



🔶伊集院静氏の言葉は、軽妙にして本質を見抜いたものです。随筆家としても小説家としても一流であることを示していると私は考えています。



<著者略歴 『大人の流儀』から>

1950年山口県防府市生まれ。72年立教大学文学部卒業。
91年『乳房』で第12回吉川英治文学新人賞、92年『受け月』で第107回直木賞、94年『機関車先生』で第7回柴田錬三郎賞、2002年『ごろごろ』で第36回吉川英治文学賞をそれぞれ受賞。
作詞家として『ギンギラギンにさりげなく』『愚か者』などを手がけている。


⭐ 原典のご紹介



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大人の流儀 伊集院 静


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