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【マキアヴェッリ語録】 第22回

マキアヴェッリ語録


🔷 塩野七生しおのななみさんの『マキアヴェッリ語録』からマキアヴェッリの言葉をご紹介します。マキアヴェッリに対する先入観が覆されることでしょう。


目的は手段を正当化する

 マキアヴェッリ(日本ではマキャベリと表現されることが多い)は『君主論』の著者として知られ、「マキャベリズム」が人口に膾炙しています。


 その思想を端的に表現する言葉は、「目的は手段を正当化する」です。


 目的のためならどんな手段を講じてもかまわない、と解することが多いですね。


 実は、私もこの書を読むまではそのように解釈していました。
 言葉を文脈の中で解釈せず、言葉が独り歩きすることの怖さは、風説の流布でも経験することです。


 福島第一原発事故以後、周辺にお住まいの方々は風説の流布に悩まされ続けています。拡散した誤情報はさらに誤情報を加え、拡大していきます。
 容易に訂正されることはありません。


 話しを戻しますと、マキアヴェッリの実像はどのようなものであったのか、そして「目的は手段を正当化する」と言っていることの真意は何だったのか、を知りたいと思いました。


 先入観を取り払い、大前研一さんが言う、「オールクリア(電卓のAC)」にしてマキアヴェッリの説くことに耳を傾けることにしました。


 マキアヴェッリは、1469年5月3日にイタリアのフィレンツェで生まれ、1527年6月21日に没しています。15世紀から16世紀にかけて活躍した思想家です。500年位前の人です。

 


 塩野七生しおのななみさんは、「まえがき」に代えて「読者に」で次のように記しています。塩野さんが解説ではなく、また要約でもなく、「抜粋」にした理由を説明しています。


 尚、10ページ以上にわたる説明からポイントとなる言葉を「抜粋」しました。

塩野さんが解説ではなく、また要約でもなく、「抜粋」にした理由

この『マキアヴェッリ語録』は、マキアヴェッリの思想の要約ではありません。抜粋です。
なぜ、私が、完訳ではなく、かといって要約でもなく、ましてや解説でもない、抜粋という手段を選んだのかを御説明したいと思います。

第一の理由は、次のことです。
彼が、作品を遺したということです。
マキアヴェッリにとって、書くということは、生の証あかし、であったのです。

マキアヴェッリは、単なる素材ではない。作品を遺した思想家です。つまり、彼にとっての「生の証し」は、今日まで残り、しかもただ残っただけではなく、古典という、現代でも価値をもちつづけているとされる作品の作者でもあるのです。生涯を追うだけで済まされては、当の彼自身からして、釈然としないにちがいありません。

抜粋という方法を選んだのには、「紆曲」どころではないマキアヴェッリの文体が与えてくれる快感も、味わってほしいという私の願いもあるのです。そして、エッセンスの抜粋ならば、「証例冗漫」とだけは、絶対に言われないでしょう。

しかし、彼の「生の声」をお聴かせすることに成功したとしても、それだけでは、私の目的は完全に達成されたとはいえないのです。マキアヴェッリ自身、実際に役に立つものを書くのが自分の目的だ、と言っています。 

『マキアヴェッリ語録』 「読者に」から PP.3-6、15                   

  

⭐ 伝道師(エバンジェリスト)としてnoteに投稿されている野口悠紀雄さんは、『知の進化論 百科全書・グーグル・人工知能』(朝日新書 2016年11月30日第1刷発行)の中でマキアヴェッリについて次のように述べています。

1512年から13年にかけて書かれたニッコロ・マキャベリの『君主論』は、それまで隠蔽されてきた権力の秘密を暴露しました。

『知の進化論 百科全書・グーグル・人工知能』 野口悠紀雄                             






 お待たせしました。マキアヴェッリの名言を紹介していきます。


マキアヴェッリの名言


第2部 国家篇

きちんとした反論はしておいたほうがよいと思うので、あえて弁護するが、歴史家たちが民衆の欠点として糾弾するこの性格は、実は人間全体、その中でもとくに指導者たちこそ、向けられるべきものだと言いたい。 

『マキアヴェッリ語録』 「政略論」から P.189                      
              
        


あと先のことも考えないで暴走するという民衆の性格は、指導者のそれよりも罪が深いわけではない。両者いずれとも、思慮に欠ける人ならば誰でも、この誤りは同じように犯しているのだ。

『マキアヴェッリ語録』 「政略論」から P.189                       
           
                    
                    
 

            
   

たみの声は神の声、と言われるのも、まんざら理由のないことではないのだ。
なにしろ、世論というものは、不可思議なる力を発揮して、未来の予測までしてしまうことがある。
また、判断力ということでも、民衆のそれは、意外と正確だ。二つの対立する意見を並べて提供してやりさえすれば、世論はほとんどの場合、正しいほうに味方する。
もちろん、世論にも欠陥はある。真に有益なことよりも、見ばえのよいもののほうに眼を奪われる場合が多いからである。
しかし、指導者たちといえども、自分たちの欲望に駆られて、同じ欠陥におちいることが多いのではないか。しかも、指導者たちの欲望ときたら、民衆のそれよりもずっと大きいときている。
ゆえに、民衆とか指導者とかの区別をつけずに、両者に共通する欠陥として論ずるのが、理にかなったやり方だと信ずる。

『マキアヴェッリ語録』 「政略論」から P.189                      




マキアヴェッリの語る言葉は深い

                            
🔶 マキアヴェッリの語る言葉は深い、と思います。

マキアヴェッリは人間観察に優れた人だった、と想像します。心理学にも長けていたのでしょう。

「君主」を「リーダー」に置き換えて考えてみるとより身近に感じられるでしょう。

🔷 「第2部 国家篇」からマキアヴェッリの有名な言葉が多く出てきます。マキアヴェッリは権謀術数(相手をたくみにあざむくはかりごと)をめぐらす悪人という評価を長い間されてきました。

 しかし、『マキアヴェッリ語録』を読みますと、それは全体のごく一部を取り上げて、決めつけていることに気づくでしょう。

 マキアヴェッリは決してそんな小さな器の人物ではなかったことが分かるはずです。




⭐️ キーセンテンス

「判断力ということでも、民衆のそれは、意外と正確だ。二つの対立する意見を並べて提供してやりさえすれば、世論はほとんどの場合、正しいほうに味方する」

この言葉は、国民は決して馬鹿ではないということを示していると思います。

為政者にとっては、国民は馬鹿のほうが扱いやすいのは言うまでもありません。

ただし、為政者が、国民にとって重要であり、為政者にとって都合の悪い情報を隠したり、情報を捏造ねつぞうしたり、改ざんしたり、破壊したり、さらに最初からなかったことにするという情報操作をメディアを巻き込んで行うことは決して許されないことです。

しかしながら現実には情報操作が行われています。

情報操作

このウェブサイトからポイントを抜粋します。1995年版ということで少々古いですが、本質的な問題は網羅していると考えます。

「情報の本質は、『知らせる』ということである」

「特定の個人や集団の利益を得るために、情報を作為的に操作することによって、他者の人格権や財産権を侵すような結果を招くことによって問題が起きる」

「情報操作とは、情報の発信者が、自分の都合のよいように情報を操作する行為を作為的に行う情報の操作をすることである。つまり、情報を特定の意図によって、結果的として他者の人格や財産に対して加害的な行為を行うことを言うものである」

「情報操作には、その操作の仕方によって、次のように分けられる。

ア.情報の独占・断絶
  情報の独り占めや流通を絶つこと

イ.情報の改ざん
  情報を変えること

ウ.情報のねつ造
  虚偽の情報を作ること

エ.情報の破壊
  情報を消滅したり破壊すること」

⭐ 出典元: 情報倫理概論 第4章 情報操作 1995年版





塩野七生さんと五木寛之さんの対談集
『おとな二人の午後』
(世界文化社 2000年6月10日 初版第一刷発行)
の中で、五木さんと塩野さんは次のように語って
います。歴史についての考察です。

五木
歴史はフィクションなんだと考えたほうがいいというふうに考えているんです。後年の人たちが再構築して、ありのまま構築できるってことはありえない。

その個人のキャラクターを通して、その人がつくり上げるものだから、歴史がそのままイコール事実であるっていうふうにとらえるより、歴史は物語なんだと思ったほうが正しい


塩野
私、学習院を卒業するとき、こう言われたんです、君が考えているのは歴史ではないって

いまだに覚えている。


五木
ぼくは思うけど、塩野さんが書かれているように、歴史は人間ドラマなんですよ。想像力の世界


塩野
ヨーロッパには私みたいな、小説でもなければ、歴史学でもないという分野は確実にあって、ちゃんと認められていますね

塩野七生さんと五木寛之さんの対談集 『おとな二人の午後』 PP.224-225     
           
                   

とても興味深い話ですね。
私は、歴史は勝者の側から書かれたもので、敗者の側から書かれたものは実在しても埋もれてしまっていると考えています。

○○裏面史というタイトルの書物が昔はありましたが、最近は、こうしたタイトルの書物は人気がなく売れないためなのか、見たことがありません。

裏面史の代わりに、都市伝説というまことしやかな話がトレンドになることがありますが、怪しいものです。

  



『リーダーシップの本質』

堀紘一氏の『リーダーシップの本質』と対比していただくと、興味深い事実を発見できると思います。




🔷 著者紹介

塩野七生しおのななみ<著者紹介から Wikipediaで追加>

日本の歴史作家、小説家である。名前の「七生」は、ペンネームではなく本名。

東京都立日比谷高等学校、学習院大学文学部哲学科卒業。

日比谷高時代は庄司薫、古井由吉らが同級生で、後輩に利根川進がいて親しかった。

1970年には『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』で毎日出版文化賞を受賞。

同年から再びイタリアへ移り住む。『ローマ人の物語』にとりくむ。

2006年に『第15巻 ローマ世界の終焉』にて完結した(文庫版も2011年9月に刊行完結)。『ローマ人の物語Ⅰ』により新潮学芸賞受賞。

99年、司馬遼太郎賞。

2002年、イタリア政府より国家功労勲章を授与される。

2007年、文化功労者に選ばれる。

高校の大先輩でした。








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