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代書筆20・完結 孫江淮氏の思い出

孫氏が2013年に亡くなって、早10年になります。

 初めてお会いした時の印象は、今なお鮮烈です。100才越えとは信じられない体格と若々しさ(髪が真っ白じゃない!)、声の張り、そして卓越した記憶力、どれもが「超人」を見る思いでした。38才まで日本人でしたから、華人なまり*は皆無で、日本人が話すのと変わりありませんでした。

*私の造語。中華系の方が日本語を話した時の、独特の抑揚を指す。

 台湾では超長寿と実業家として有名なのに、成功者にありがちな、威圧的なところや自慢が全くない。かといって、ニコニコしているわけでもない(むしろ無表情)。それなのにどこか温かく、おそばにいるとホッとするような方でした。私の人生において最大の恩人といってよい頼哲顯老師(後日、別記事を書きます)と引き合わせてくださったのも、ほかならぬ孫氏でした。
 日本時代のお話に感極まって私が涙した時に「感情の高ぶりは体に良くない、何事も中道です」と、低いがよく通る声で優しく諭されたこと、「どこで誰が作ったか自分の目で見ないものは信じない、だから工場で作ったものは食べない」という言葉が心に強く残っています。

 住まいも身の周りも(資産家のわりに)質素でしたが、お話をうかがう場だった書斎の中は、本や資料であふれかえっていました。晩年の同氏にとっては、台湾の歴史や文化に関する研究は、旅行に替わる生きがいだったのかもしれません。
 台湾人が日本時代を思い出して書いたものは、たくさんあります。しかし「何事も偏らない、中道」がモットーの氏らしく親日でも反日でもない分析と、確かな記憶力に裏打ちされた内容、また往時の台湾の庶民生活をうかがえる点において、本書の存在意義は大きいと思います。
 今回の連載は、誰もが興味を持てる内容に絞りました。台湾社会の移り変わりや、孫氏の手がけた事業など、紹介していない部分はたくさんありますが、その全部を載せるのは文字量のうえからも、私の翻訳能力の点からも不可能です。中国語が堪能な方は台湾から取り寄せて、お読みになってみてください。

 日本と台湾の関りは実は400年にも及びます。そのうち50年間は、台湾だけのものではなく、日本の歴史でもあります。その間に日本人が台湾で行った善悪や味わった喜怒哀楽、それらはどの民族よりも、まず日本人が知るべき史実ではないでしょうか。私は無名無力な一個人で、私に協力しても何のメリットもありません。なのに孫氏ほどの方が何回もお会いくださったのは、私のこの熱い想いが伝わったからだろうと思います。

 ひとつ後悔があります。私が業界に顔のきく立場だったら、この稀有な人物を日本のメディア(you tubeの有力チャンネルでも)で紹介させたかった。きっと、日治台湾に関する歴史証言(例えば、霧社事件を当時の台湾人はどう見ていたか)や、あるいは経済人から見た日本経済の改善策についてなど、言葉数は少なくとも、胸にズシッと響くことをおっしゃってくれたのではないか・・・と。

 1世紀を生き抜いて、今はまだあの世でゆっくりされていることでしょう、ただただ感謝申し上げます。
そしてここまで読んでくださった皆さまも、ありがとうございました。

102才時の孫氏。左は私の恩人にして、台南の郷土史家・頼老師

次回は今年の思い出や、来年の抱負などについて書きたいと思っています。


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