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代書筆11 日本時代の旅行 前編

台湾島内の旅

 私の一番の楽しみは旅行、温泉、写真撮影である。子供の頃、父は暇があると私を連れて台南の友人宅を訪ねた。そのせいか大人になっても出歩くことが好きで、土曜の午後から友人たちと出かけることが習慣になっていた。もっとも当時、たいていの人は娯楽で出かけることは少なかった。山奥に住む人だと、善化の町にすら一生行くことはなかったかもしれない。

 行き先が台南だと日帰り、遠い場所だと泊って翌日に帰った。台南で海水浴をする時は寿司や天ぷらなどを買い、海岸でビールを飲みながらのんびりした。たまには料理屋「鶯」へ行った。ここだと一人5円ぐらいかかるが、その辺の食堂だと50銭だ。

1931年の海水浴のスナップ写真

 私は関仔嶺温泉が好きで、よく行った。台湾人が経営する大きな宿もあるが、私は日本人がやっている宿の方が清潔なので好きだった。

 昭和2(1927)年、善化の日本人駅長が組んだツアーに参加して阿里山へ行った。メンバーは全員、善化の商売人だった。嘉義まで汽車、さらに登山鉄道に乗り換えて阿里山で1泊。たくさん宿があって、どこも設備は良さそうだった。阿里山はとても寒くて、夜は水道を出しっぱなしにしないと凍ってしまう。雲海や原住民も見た。とにかく環境が全然ちがうので、気分転換になる。戦争前には、嘉義、玉井、ガランピ(台湾最南端)、小琉球などあちこちに行った。

阿里山のご神木の前にて。前列右端が孫氏

こうしていろいろな所へ行くので、いろいろな人も見てきた。
 台南の海水浴場で会ったロシア人は、とりわけ印象深い。彼はロシアの皇族で、革命で家族と故国を失い、各地で布を売って生計を立てていた。日本語が少しできる以外、台湾での言葉は通じない。あちこち放浪していて、善化へ来たこともあるという。彼は本当に哀れだった。父母も友も、知り合いさえいない。こうしたことは当時の中国にもあり、清の皇族の一部は辛亥革命後、海外へ逃亡したという。

温泉大好き

 私は温泉めぐりが好きだ。中でも1番のお気に入りは関仔嶺。月に1回は行っただろうか。午後一人でタクシー=片道4.5円で行き、ひと風呂浴びて帰ってきたこともある。四重渓も年に1、2回は必ず行った。
 温泉に泊りがけで行く時は、必ず妻を連れていった。大晦日は客が少なくてサービスが良いので、家族や書生を連れて関仔嶺か四重渓に泊まり、元旦に家へ戻る。昔の正月は親せき一同で4,5日過ごし、ごちそう作りも大変だったので、わが家では先に慰労をしたのだ。

関仔嶺温泉にて浴衣+ゲタ姿で。中央が孫氏

 四重渓は泉質が良く、台湾で一番清潔な温泉だった。飲用もできるので、行く度に持ち帰り、それで茶を入れた。村長が経営する宿は小さいけれど、サービスが良かった。たくさんのキジを飼っており、それや魚を料理してもらった。四重渓には原住民の村がある。暗くなって現地へ行った時は、刀を身につけた一団が道端に寝ていて、ものすごく驚いた。

 戦前、友人たちと20日ぐらいかけて、台湾を一周したことがある。台南から高雄は汽車、バスに乗り換えて台東や瑞穂へ。道がずっと悪くて大変だった。台東ではもちろん知本温泉へ行った。ここは谷川沿いの露天風呂が人気だ。花蓮の瑞穂温泉を訪ねた後は、宜蘭の礁渓温泉へ向かった。ここは炭酸泉でちょっと濁りがある。湯は結構熱い。次に台北の北投温泉に泊まった。戦前の北投には、一流の宿やレストランがあった。台北空港を見物してから、台北駅前に宿泊。台北は車や黒煙が多かった。燃料の関係か空気が汚れていて、一旦外へ出ると服が黒くなった。

関仔嶺温泉は、今は泥湯で有名です。写真はあるホテルの露天風呂。
水着で入り、とろりとした泥を顔や体に塗りつけます。


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