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ぼくは天皇の代わりに飛行機を造った 完結~台湾少年工の手記から見えるもの~

少年工と台湾のその後

 この手記の主人公・Aさんは、身長180cm近くあって、食べ盛りに食べられなかったとは思えない立派な体つきです。そして金の腕時計をはめ、ベンツを乗り回し、どこから見ても「成功した実業家」です。元々学業優秀なうえに、高座で培った「負けず魂」で苦労を乗り切った元少年工からは、Aさんのように多くの成功者を輩出しました。そういう方にとっては、過去の苦労も自らを磨く経験として受け止められると思います。
 しかし、高座でケガや凍傷のために後遺症を負ったり、日本帰りだったために国民党政権下の台湾では浮かび上がる機会を失った人も少なくありません。

 元少年工たちはその後、連絡組織として「台湾高座会」を結成。10年ほど前までは毎年1000人規模で大同窓会を開催するなど、活動は活発でした。会員は最大3000人以上を数えました。8400余のうち亡くなった方がいるとしても約半数。他の半数は高座での日々を思い出したくないのかもしれない・・・といったら、いいすぎでしょうか。

 前回の「あとがき」で分かったと思いますが、戦後の台湾では独裁政治が行われて言動の自由はなく、日本時代に関係したものは排除・迫害されました。それがようやく緩和していったのは、李登輝総統が誕生した88年以降のこと。88年・・・日本で元号が平成と改まったのは89年。つまり、「昭和時代の台湾は反日国家だった」ともいえるわけです。
 私の経験でも(あくまで個人差はあるものの)、学校で「日本は悪い国」と盛んに教育された現在50~70代の台湾人の、日本に対する視線はわりと冷ややかです。私が「台湾=親日と断定するべきでない」と思うのは、まさにその点なのです。
 元少年工たちも、「日本で軍事産業に協力していた」過去のために息をひそめるように暮し、高座会の発足も戒厳令が解除になった1987年、帰国後30年を経てからです。

2010年頃、台南市で開かれた高座会の一コマ

私が見る台湾人の対日本観

 台湾人といっても、育った環境等によって、一人一人の対日本観にはかなり差があります。それは反日親日などという単純なくくりではなく、グラデーションのように境がはっきりしない・・・というのが私の印象です(そして、日本が大嫌いな台湾人もいます)。

 では、東日本大震災の時にあれほど義捐金を寄せてくれ、今も何かと日本を応援してくれる台湾を警戒しろ!と私が言いたいかというと、それもちがう。

 台湾には今も、日本時代の建築物がたくさん残っています。つまり日本では歴史教科書の明治のわずか数行で書いてある「台湾割譲」を、台湾人は日々目にしているわけです。原爆投下や大空襲をしたアメリカは忘れても、わたしたち日本人の方はけして忘れることができないように。
 今では国民の半分以上が日本に好感を持つ台湾でも、かつては日台両民が血を流しあう歴史(日本の民間人多数が、台湾人に虐殺された事件も繰り返し起きています)がありました。元少年工を含む「一番好きな外国は日本」と言う台湾人は、そんな過去を乗り越えて、それでもなお日本に並々ならぬ思いを寄せてくれる。ならば、日本人の方も過去・現在の台湾のさまざまな顔を知ったうえで、「それでも台湾」と言って、初めて本当の絆ができるのでは・・・と私は考えます。

 また、史実と称するねつ造や虚構に反論するために、日本人もアジアの近現代史はきちんと学ぶべきです=謝っていれば、黙っていれば、そのうち相手は分かってくれる・・・なんてことは絶対ありません。

 台湾は1895~1945年の50年間日本だった=あの50年間は「日本の歴史」でもあります。
 終戦時、台湾には約50万人の日本人が住んでいました。一体50年間で、延べにしてどれほどの日本人が、日本と台湾の間を行き来したのでしょうか。そして、多くの日本人が台湾の土になり、中には台湾を心から愛して亡くなった日本人も少なくありません。そういう歴史や御霊(みたま)が埋もれた台湾のさまざまな面を、日本人はもっと知った方がいいと思うのです。私の取材に協力してくださった台湾人たちは、みな口を揃えて「日本人にもっと台湾のことを知ってほしい」と言っていました=だから私のような無名の外国人にも、快く協力してくださったのです。その心情に報いるためにも、自分が調べたことをいろいろご紹介していきます。
 それこそが、私が「日治台湾についてやさしく解説し、日本に普及させるための草の根運動家」を自称する理由です。

最後に少年工に関するおすすめ本をご紹介します。
・「台湾少年工と第2の故郷」展転社
 台湾高座会と交流の深い日本高座会(高座工廠の日本人職員などで構成)の方が執筆。体が小さいのによく働くことから「すずめ部隊」と呼ばれて可愛がられた少年工たちの生活や、近年の交流のことが描かれています

・「台湾少年工 望郷のハンマー」ゆい書房
 大和市の元小学校教師が執筆。「日本は戦争中悪いことをした」史観に基づいて、少年工たちを被害者的に描いていますが、生活の様子はわかりやすい。

 



 
 
 
 

 


 
 
 
 

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