憲法について「堂々と議論したら良い」という意見に賛成します。 憲法のアップデートを70年以上していない国は他にあるのでしょうか?
憲法について「堂々と議論したら良い」という意見に賛成します。
憲法のアップデートを70年以上していない国は他にあるのでしょうか?
野党の「国民投票は阻止する」戦略は、換言すれば「国民投票になったら野党の意見は通らない」か「国民の意見は聞くべきでない、聞くに値しない」かのどちらか、という事になります。
北朝鮮と中共に脅されつつも「自衛隊は違憲だ、と硬直した言論だけが飛び交う野党の意見」が弱いという自覚なんでしょうか?
憲法を改正の方向性も一通りでないでしょうし、
もっと集団自衛権の行使で平和を守る事を明確にもできるだろうし、
逆にもっと一国平和主義にも改正可能だと思います。
野党もそういう提起をして選択肢を作ってこそ、存在意義があるんでしょう。
すると、安全保障に関する現実的な議論が国民に明らかになるという意義も出てきます。
なにが何でも議論もさせない、国民投票は阻止、というのはある意味、民主主義の否定にも聞こえるんです。
国会で全て決めて良いなら民主主義じゃなくて完全間接民主主義=国会議員主権主義にも近くなってしまいます。
「憲法も安全保障も何も知らんから、国会で勝手にやっておいて、オイラ達は金儲けとか趣味とか酒飲んでるからさぁ」という国民だけを育てるのは健全な民主主義では無いですよね。
3年か5年に一遍ぐらい国民投票やって憲法アップデートしても構わないんじゃ無いですか?
「不磨の大典」ではなく、「国民が本当に守るべき日本の最新で最高の規範が憲法」、という位置付けならば、国民投票阻止、という発想にはならないと思うんですよね。
因みに各国の憲法改正の状況はこちらです。かなりの回数の憲法改正している国も多いですよね。
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http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_8624126_po_0824.pdf?contentNo=1
国政選挙は何だかんだで、数年に一度あるんですから、その際に逐条投票しても良いかも知れませんね。
変えない割には堅く守ろうとすると変化の速い世の中では非常に時代遅れになる可能性が高まります。
因みに憲法9条については、防衛は認め、侵略は認めない、という殆どの国で当たり前の形が良いかと思います。
すると「何をもって防衛か、侵略か!」と熱り立つ方々が居るのは承知ですが、結局、先の大戦で軍部をコントロール出来なかったという想い、又は本当は国民も煽り朝日新聞なども戦意高揚を煽った事(鬼畜米英、討てしやまん、一億総火の玉、贅沢は敵だ、などなど)への無意識を含めた反省から、自分を信じてない、自信が無いのという面が大きいんだろうと思います。
本当の自信があれば、「防衛か、侵略かは、自ずからが決める。」と言うことも出来るし、或いは自信が無ければ国際連合の安全保障理事会に諮る、とか決めようもあるでしょう。
先の大戦の反省の意味では「熱狂の中で決めない」ことも大切です。
平時に淡々と「えっと次の憲法の国民投票いつだっけ〜?あ、来年?そしたらAIが人格権や人権は無しという文言入れた方が良くないか?じゃないと一旦、作ったAIは永遠に消去出来ずに、日本(や世界)は人類よりAIの数が増えちゃうよね?」とか、「IPS細胞による治療は日本国民平等の権利、人権にしておこうよ。じゃないと金持ちだけ長生きする事になりかねないよね?」
とか「尊厳死どうする」とか「不老技術どうする?」とか、そんな議論をして、冷静に毎日の事として、議論をして投票するのが良いかと思います。
投票手段のIT併用(ウエブ投票、モバイル投票など)もすれば、サラリーマンも学生も国民投票に参加しやすいですね。
まぁ少しSFぽくなりましたが、意外とそんなに未来の課題じゃないかと思います。
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