ある外交官

約45年前、一人の日本人女子大生がボストンで行方不明になった。
敗戦からまだ20年少しほどしか経っていない。

単身で留学していた娘と連絡が取れなくなり、その両親は日本でパニックに近く動揺した。

1ドルが360円でニューヨークにまだ羽田空港から行って、100万円もかかる時代だ。

すぐにまず母親が日本から駆け付けたが、右も左も全く分からない。

一体、どこを探せば良いのか。

両親は、ワシントン駐在の一人の若い日本人男性に連絡をした。

男は、ボストン中を車で母親を乗せて探した。
携帯電話もパソコンも無い、ましてやインターネットなど夢のまた、夢の時代。

大学、寮、警察、病院、などに電話したり、もしやと思う立ち寄り先候補には出向き、2日目、3日目も朝から夜通し探し続けた。

見つからない。

母親は、半狂乱だが、遂に父親も駆け付け、万が一の最悪の事態を両親も覚悟した。

が、男は落ち着きをけして失わず、諦めず、ついに、ある日、娘は見付かった。

幸い犯罪に巻き込まれたわけでは無く、寂しい留学先でノイローゼで帰り道が分からなくなったとのことで、保護されていたのだ。

この時、ワシントン駐在の外務省職員だったのが、若き日のこの男、谷内正太郎さんだ。

見つかるまで絶対に諦めない。

両親は生涯、谷内正太郎さんに感謝していた。

谷内さんは今も、落ち着いて最大の努力を貫き、何も諦めていないのだと思う。

拉致被害者も、北方領土、竹島、尖閣諸島も諦めず、日本の為に働いてくれていると信じている。

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