情報量が多い歌とか、ギターとか

 突然竹原ピストルさんの歌が聞きたくなり、YouTubeで武道館の動画とかをざざっと見てた。誰もが同じ事を思うだろうけれども、当然の事ながら歌はうまいんだけれども、それ以上にメッセージ性というか気合いというか、「上手い下手じゃなくて、すげぇアツい。」っていうシンガーさんですよね。武道館でアコギ一本で、ここまで厚みが出るんだから、本当にすごい。

 「よい音楽とはなんだろうか」みたいな事を常日頃考えているわたしですが、最近感じている答えの一つに「情報量の多さ」があるんじゃないかと思っています。「情報量」っていう言い方は馴染みがないかも知れないけれども、わたしの中では凄くしっくりくる。情報量。元々の声質とか、倍音とか、勢いとか、単純なピッチの良し悪しとか、息遣いとか、歌声そのものはもちろん、声の向こう側に見える景色をすべてひっくるめて、情報量。

 声は当然目に見えないから、具体的な数字とかでは示せないけれども、耳にも聞こえていない向こう側に色んな景色や背景といったバックボーンが見える事もある。逆に今はバックボーンが無くても、これからの伸びしろが果てしなく伸びている景色も見えたら、これも情報量の中の一つだと思う。

 玉置浩二さんの歌声が多くの人の心に届くのは、根本的なピッチの良さや発声の良さといった基礎力がしっかりしているのは当然の事、「歌にこれだけ心血を注いできたんだ」っていう情熱といったものも歌声に乗っかっているから、歌声を聞いた時に「ハッ、この歌は聞かなければいけない気がする。」と、多くの人の心を掴むんだと思う。

 逆に6歳の子がオーディション番組で美声を披露した時に多くの人が感涙してしまうのは、その子のひたむきさや歌唱力といったその子自身の魅力がとても溢れているのは当然の事ながら、「この子は一体この先にどんなな未来を駆け抜けていくのだろうか。あんな未来、こんな未来、ああ、なんて素晴らしいんだ。可能性しかないじゃないか。眩しい。尊い。」といった、まだ見ぬ何かに無意識のウチに胸を打たれる部分もあると思う。

 「そんな歌に細けぇ野暮な事を言うなよ!!」とかお叱りの声を頂きそうですけれども、まぁナンセンスだなというその気持ちもわかります。でもそれは完全にまた別の議題ですし、今回はそういった野暮やナンセンスとちゃんと向き合ったらどうなのか、という話なので、一旦脇に置いておきます。

 そういった情報量というのは別に専門家でなくても無意識のウチにちゃんと聞き取っているし、ちゃんと自分のDNAに照らし合わせた上での「好き」「嫌い」まで判断出来ているのが人間のすごいところ。コンプレッサーとかディレイとか、リミッターとかMR処理とか、そんな単語を1mmも聞いた事がなくても、Tiktokで色んな動画を流し聞きしている時に、「ちゃんと処理された音楽なのか」「そんなに処理されてない音楽なのか」を聞き取っているし、感じ取っている。いわゆるメジャーアーティストの楽曲が凄く魅力的に聞こえるのは「どうやったらこの歌手という素材を一般の人たちに聞かせた時に魅力的に聞こえさせる事が出来るのか、惚れさせる事が出来るのか」というのを何十年と続けてきたプロの集団が何億というお金を使って、情報量の操作をしているから、といっても間違いじゃない。逆にアマチュアの人の音源がショボく聞こえてしまうのは、情報量をコントロール出来る技術や機材が揃ってないから、とも言える。

 ちょいと話が逸れてきたので、元に戻すと。

 実はこういった情報量なにがしっていうのは歌声だけではなく、ギターはもちろん、全ての楽器に言える事。例えばギターをジャラジャランと弾いている人っていうのはYouTubeを見ていればよく見かけるけれども、「この人イマイチだな」とか「この人、めっちゃうめぇ!!」といった印象を決めるのは情報量だと思うのです。その情報の中には「演奏の向こう側のバックボーンや未来」も含むっていうのがポイント。

 例えばですけれども、わたしはギタリストでございますので、誰かが「ジャンッ!!」と一つコードをストロークすれば、その人がどのくらいギター弾ける人なのか90%はわかります。そのストロークひとつの音の中に含まれている情報量で、「あ、多分この人はこんな感じの人だな。」っていうのがわかるんです。でもこれはわたしの特殊技能ではなく、誰でもなんとなく感じ取れている事だと思います。わたしとみなさんの違いとしては、わたしは「その情報量を言語化出来る」っていう所。感じている事はプロでもアマチュアでも一緒だと思う。

 わたしはギターがとっても好きで、ギターが表現できる可能性というのを今でも模索してる。だから周りにギターを弾いている人がいたら「もっとこうするとギターってすげぇ化けるぜ!?」って教えてあげたいし、ギターっていうのはもっともっと面白い道具なんだぜって事をもっと多くの人に知ってほしい。

 こんな感じで「もっとギターの可能性を広げたい、ギターに出来る事をもっと知りたい」っていう思いが、多分わたしのギターの音には乗っかっている気がする。いっぱい練習して習得してきたテクニックがあり、いっぱい勉強をして会得してきた知識もある。それらを全て突っ込むのは無理なので、どれを捨てて、何を残すか、を凄く考える。本当に、凄く凄く考える。

 どれを捨てて、何を残すか。

 そうやって残ってきた要素で音楽をする事で、いっぱい捨ててきた事があったが故のバランス感覚。音の向こう側に、経験してきた何かが確実にあって、「この音は、今までいっぱい捨ててきた事があったんだな」って伝わったら凄く嬉しいところでありまして。



おわり

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