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新しいCD音源

 ウタイストで新シングルを作っています。前作のリリースは2020年2月なので、実に3年ぶりの新譜となります。7月29日のサンエールさがみはらワンマンライブでリリースとなり、順次通販の受付も始まる予定です。もしかしたらワンマンに間に合わないんじゃないかというタイトさでしたが、本当にギリギリでなんとか間に合いそうです。よかった、よかった。ちなみに、ワンマンライブ、まだ60席くらい空いてますので、もしよければぜひどうぞ。なんならあと100人は入れます(笑)。

 さてさて、そんなウタイストの新譜の内容でございますが、なんかこの3年間で色々思ったこととか、経験したこととか、わたしたちの中で変化したことが凄くいい感じにまとまっているのではないかなと思います。

 わたしは特にこの3年間で「音楽とはなんだろう」とか「なんでギターを弾くのだろうか」とか、「演奏することで何を伝えたいのか」とか「曲を作る事でどうやって人を幸せにできるのか」みたいな事を考えてました。音楽活動を始めた2015年。当時はふざけて「音楽で伝えたい事なんでないっす」とか言ってましたが、単純にそれは探してないだけであって、テスト当日の「俺、昨日勉強してないわ~。」っていうのと同じ。探すか、探さないか。考えるか、考えないか。実際に思案してみると色々あるもんだったりする。もちろんすぐにはわからないし、今でもそんなにハッキリしてる訳じゃないけど、「なんとなく、自分はこういう事をしたいんじゃなかろうか」というイメージは掴めるから、こんな感じかな??ってひたすら手探りで模索をしてみる感じ。

 プロとアマとはなんだろうか、とか。上手いとか下手とかってなんだろう、とか。伝わるとか伝わらないってなんだろう、とか。そういうのも色々考えてみた。上手じゃなければ演奏してはいけない、なんていう事があれば、世界に歌手はスティービーワンダーがいれば十分だろう。ウサイン・ボルトがいれば陸上選手はいらないし、大谷選手がいれば野球選手ももういらないかもしれない。でも、やっぱりそうじゃない。音楽に限らず、世界の全ての物事がそうじゃない。

 少し前の話だけれども2021年4月に娘が保育園に入園したんですよ。波は激しかったけれども、コロナがちょいと落ち着いている時期だったので保護者もホールで参加できる入園式に出席をしました。そしたら在園の子たちが入園式を取り仕切ったり、ハキハキと挨拶をしたり、アレコレとお話をしたり歌を歌ったり、「おかあさんたち、おとうさんたち、わたしたちに任せてください。」みたいな頼もしいメッセージを発したり。わたしはそんな子供たちの尊さに入園式の序盤でもう涙が止まらず、子どもたちが総出で歌いだそうもんなら、もう涙腺など皆無に等しい程にボロ泣きノンストップ鼻水を垂れ流しモードに入りまして。「ぎょぇええ、やめてくれぇ、そんなピュアな歌声で歌われたら心がズタズタになるぅぅううぅぅ。。。。」と周りを見渡すと、泣いている保護者は普通にわたし一人でした。「え、マジで??」って思いました。園長先生が「え、泣くタイミング、あった。。??」って顔をしてたのは気のせい、なのか、どうなのか。

 そんな感じでわたしの心は純粋そのものの子どもたちの言葉や歌声でボッコボコに昇天したわけでございますが、これは一体なんの感情なのだろうか、とも思うわけなのですよ。

 ちょいと烏滸がましい例えではありますが、2022年1月に箱根のピカソ展に行ったんですよね。油絵とかそんなに興味なかったし、そもそもピカソもどういう人なのかほとんど知らなかったんだけれども、いろんな絵やお皿などが展示されてて、素直に「すごい!!」と思えるものから、「うん、わからん!!」と頭を捻る怒涛の作品が並ぶ。なんとなく道順がピカソの年齢とともに進むような作りになってて、二階にあった晩年の絵のほとんどは、「うん、謎!!」っていう内容でした。解説や名言などもいっぱい書いてあって、凄く楽しかったんだけれども、最後に方にこんな事が書いてありまして。

「この歳になって、やっと子どもらしい絵が描けるようになった。ラファエルのように描くのは4年掛かったが、子どものように描くには一生涯かかった」

 なんかこの一言で、「ピカソ=いわゆる変人」みたいなよくあるレッテルが無くなり、子どもの様な自由な心を求めまくってただけなんだって言う解釈に変わりまして。そして、はてさて、考えてみると結構コレっていろんなことにも共通するよな、とも思うわけです。わたしの身近な音楽においても、凄く近しいものを感じる、と言いますか。烏滸がましいところではありますが。

 わたしはまだそこまで成熟してはいるわけではありませんが、まぁそれなりに酸いも甘いも経験をし、毀誉褒貶さまざまなお言葉を頂戴する時もありました。その度に必死にもがき、苦しみ、慌てふためく事もあり、まぁ一生懸命色々してきたわけなんですけれども。なんか年齢と共に、引き算で生活をする様になったな、なんて思ったりします。足すのではなく、引いていく。習慣だったり、環境だったり、人間関係だったり。

 それは音楽にも顕著に現れている様な気がしまして、話が凄く遠回りになったけれども(笑)、つまりはそういう力加減が今回の新譜には色々色濃く反映されているなと思うわけです、はい。強引に戻すわたし。

 引き算で、余計な事をしない。出来るだけシンプルに、力強く、大事な所だけをバランスよく残す。研ぎ澄まされたシンプルは、実は凄くテクニカルで緻密。そんな感じです。ギターもパッと聞くと自然に聞けて簡単そうに思うかもしれないけれども、実際に弾いてみるとめっちゃむずいタイプのそれです。色々と乞うご期待。

 よくわからないまま、まとまらないまま、終わり。うほ。

おわり



 

 

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