下手だけど、響く演奏

 「あの人、そんなにうまくないけど、良いんだよなぁ」

 「あの人はうまいけど、全然ピンとこない。」

 そう感じた事、ありますよね。

 それはなんでなんだろうか。十人十色な意見がありそうな、とっても興味深いテーマですよね。音楽の魅力というのは言語化したり、数値化したり出来ないから、比較は出来ないし「好き」の共感も出来ない。だから人によっては「そうやって音楽を言葉で表現する事はナンセンス」って思う事もあるでしょう。しかしわたしは、そういうのを考えるのが好きだし、なによりも音楽が好きだからこそわかりたいし、知りたい、見つけたい。そこで何かに気づけたら、何かを得られたら、それをまた誰かに伝える事で音楽の良さ、楽しさ、魅力を広めたいと思うのです。

 そんなわたし、自分でいうのもなんですが、そこそこギターが弾けます。これは決して鼻にかけているわけではなく、「そりゃ28年も練習や勉強を続けていれば、このくらいにはなれるよ、マジで。」っていう、単純な積み重ねをしてきた結果です。卑屈になる事もありませんが、そんなに自慢する事でもないと思ってます。だって誰もが絶対に何かしらに時間を割いて、それぞれがそれぞれの「スゴイ」を持っているんだから。毎日毎日、いろんな場所で、そんなみんなの「スゴイ」を持ち合わせて、わたしたちは生きている。そしてみんなで一緒にもっと大きな「スゴイ」を掴むために、わたしはわたしなりの「スゴイ」を持っているに過ぎないと思うからです。このわたしの「スゴイ」はみんなに育ててもらった、ありがたい「スゴイ」なので、とっても大事だけど、奢ってはいけない。

 でもそこそこギターが弾けたとしても、良い演奏が出来るわけじゃない。どちらかというと、わたしは「中途半端に上手に弾ける自分」に酔いしれて、色んな事をないがしろにしてきた場面が多かった様に思うのです。それは演奏、音にも表れますし、態度や表情、服装や立ち振舞にも表れます。リズムやメロディ、会場の雰囲気作りやステージの照明などの作り込みにも反映されるでしょう。いわゆる、「この演奏は聞かなければいけない」という覚悟と決意を自然と、無意識に持ってもらえる様な何か、知らない内にそう思ってしまうような何かが大きく欠如していた様な気もするのです。

 すげぇ平たく言うと、わたしの全てから「こんなもんでいいか」っていうナメたオーラが出ていた。

 当時としては当時なりに一生懸命頑張ってたつもりだったけど、今考えれば全然甘っちょろい考えで日々を過ごしてたし、無駄な時間の使い方がムラあったり、音楽に対する貪欲さ、もっといえば自分出来る事に対する貪欲さは確実に、確実に足りてなかった。

 「おまえは今、胸を張って全力でやっていると言えるか??」
 「心のどこかで、こんなもんでいいっしょ、って思ってないか??」

 家族やファンの方、兄弟や友達、親戚、通りすがりの人、関わってくれるすべての人に対して、「おまえは今、全力か??」と、過去の自分に問い詰めたら、多分言い訳ばっかりだったと思う。

 言い訳をせず、「自分、マジ超頑張ってるっす。本当に毎日、マジで全力っす。毎日を密着取材してもらったって構わないくらい、壮絶っす。」っていう日々を過ごしていると、何かが一つずつ変わってきて、それが誰かを惹きつける魅力になるのではないかなとか、思ったりしてます。

 ちなみに、noteを書くのは自分にとってちょっとしたご褒美の休憩時間でございまする。さっさと寝て、明日からもモリモリ頑張るぞ。「自分の音楽が一番好きです」って言える様になるために。


おわり

 

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