「スゴイ」に囲まれた世界

 「ギター上手ですね!!」って言われたら、「いやいや、そんな事ないっすよ、もっと上手な人はいっぱいいますから。」って以前は答えてました。

 「カフェのご飯美味しいですね!!」って言われたら、「いやいや、そんな事ないっすよ、もっと美味しいご飯を作れる人はいますから。」って以前は答えてた。店を出して2年くらいは言ってたけど、ずっとなんか違和感があった。

 なんか、変だな。

 でもある時から、「ギター上手ですね!!」って言われたら、「ありがとうございます。これからも頑張らせて頂きます。」とか「そもそも音楽の力が凄くて、僕はそれに乗っかってるだけなんですけどね。」って言うようになった。

 同じ様に「カフェのご飯おいしいですね!!」って言われたら、「そうなんすよ、野菜って美味しいんすよ。」とか、「そうなんすよ、もうね、ハンバーグっていう概念が美味しいんすよ。」とか、「いいですよね~、スパゲティっていいんですよ~、美味しいですよね~、僕も凄く好きです。」みたいに言うようになった。

 いくつか理由がある。

 一つは褒めてくれた人を否定しているって事に気づいたから。だって「凄いですね、上手ですね」って言ってくれたのに、「そんな事ないです」って答えてたら、褒めてくれた人の気持ちを拒否しているし、相手の人が優しかったら「本当ですよ、上手ですよ。」って拒否された上に更に気を遣わなければいけなくなってしまう。「もっと褒めろよ」って文句を言っているみたいだなって思ったから。

 もう一つには、卑屈よりも感謝を伝えた方がスマートなんじゃねーかなって事に気づいたから。「そんな事ないです」っていうよりも、「ありがとうございます」って答えるということ。でもわたしは今でもコレは苦手で、褒めてもらった事に対して「ありがとうございます」と答えると、まるでそれを鼻に掛けている様な、自分でも自意識過剰になっている様な気がしてしまうのです。なかなかそんな素直さを手に入れられる器量はわたしには無さそうだ。

 しかし思うに、世の中には「スゴイ」のパワーが溢れかえっていて、何かしらでちょっと頑張ればその「スゴイ」を身につけたり利用したりする事が出来るのです。だからわたしは何においてもその「スゴイ」の力を借りているだけなんじゃねーかなってある時に気付きました。

 ある時、生放送でハンバーグの仕込みをしてました。コメントで「先日頂いたハンバーグ、美味しかったです」と来ました。

「そういってもらえるのは嬉しいんですけど、なんていうんだろ、ハンバーグっていう料理を作った人が凄くて、別にわたしはそれを覚えて手順に沿っているだけなんですよ。だからそのハンバーグの概念を作った人が凄くて、すでに概念の時点で美味しいのですよ、ハンバーグというのは。そう、ハンバーグという概念が美味しい。」

 ふと見渡せば、いろんな「スゴイ」に囲まれている。わたしのこの「スゴイ」の基準は、「やれと言われたら自分で出来るかどうか」です。そう考えると、逆に「スゴクナイ」事の方を見つけるほうが大変なんだけど、でもそれは大きな過ちなんだよね。自分にとっての「スゴクナイ」は誰かにとっての「スゴイ」であって、誰かの「スゴクナイ」を自分は「スゴイ」って感動しているの。だから、本当は、何もかもが世界は「スゴイ」で溢れかえっている。わたしはその「スゴイ」の一部を拝借して、面白楽しく過ごさせてもらっているだけなんだ。

 だから「そんな事ない」と卑下したり否定したり、拒否したり出来る事ってのは、実はこの世の中には一つもないんじゃないかって思った。

 僕たちは誰もが少しずつ、なにか足りないように出来てて。

 お互いの「スゴイ」を持ち合わせる事で、お互いに毎日を頑張ってるって思えば、自分もちゃんと「スゴイ」の一部なんだよね。


おわり

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