答え

今週の、いちばん。第36回/大事なのは、「他人の正解」? 「自分の正解」?

ネットや雑誌で「人生相談」のコーナーを見るたび、思うことがある。
自分はこれほどうまく、人からの相談に答えられるだろうかと。
僕には、人生をこう生きるべきだと断言できるほどの哲学はない。
それに、仮に「僕の正解」を伝えたところで、「その人の正解」になりうるか、迷いが残るのだ。

先日、そんな僕が、ナマの人生相談に「立ち会う」機会があった。
ある進路に悩む学生に、ヒントをくれそうな知人を紹介して、その場に同席したのである。

聞けば、その学生は、某企業の内定をもらったけれど、そこに就職するか迷っていた。
ただし、就活を仕切り直すとして、次はどんな業界中心にしようかも、結論が出ない。
また、親御さんの期待もあって、それを受けて進路を決定するかどうかも悩んでいた。
正直、すぐにすっきりした答えが出るような状態ではない。

僕はその子が内定をとった業界について疎いし、具体的なアドバイスは知人に任せようと思っていた。
けれど、二人のやりとりを聞くうち、一つだけ言おうと思って、次のようなことを話した。

進路というのは、人生で何を大事にしたいかによって、正解は異なる。
親御さんも含め、「こうしたほうがいい」と言う人はいくらでもいるだろうけど、それは結局「他人の正解」だ。
「他人の正解」が偶然、「自分の正解」と重なる場合もある。
でも、それが別物だったとき、人から教わった「正解」が間違ってたんだ、と言っても遅い。
だから、まずは自分なりの「正解」(の基準)について、じっくり考えてみてもいいんじゃないかと。

冒頭に書いたように、僕は、少なくとも人生において、「自分の正解」を押しつけることは好きではない。
それはあくまで「選択肢」の一つだ。
そして、それを「正解」にするか、「不正解」にするかは、選んだ人のその後の行動も影響すると思う。
どうせなら、「自分の正解」を。やるからには、選んだ答えを「正解」に。
エレガントな回答はできなかったけど、僕の正解を包み隠さず伝えた一夜だった。

今週のいちばん「自分の正解」を見つめた瞬間。それは12月11日、池袋の居酒屋で人生相談に立ち会った瞬間です。

*「今週の、いちばん。」は、その1週間で僕がいちばん、心が動かされたことをふりかえる連載です(下の「このマガジンに含まれています」のリンクから全部の記事が読めます)

今のところ、全ノート無料にしていますが、「おひねり」いただけると励みになります!