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「あきらめが悪い」を、あきらめない。(「アイスと雨音」試写会の感想)

あきらめるのは、いい大人の嗜みである。

と書いてはみたものの、本当にそうかはわからない。ただ、大人になるにつれて「あきらめる」ことが増えていくのは、多くの人にとって事実ではないかと思う。

とくに、(「会社」に代表される)組織の一員になると、「あきらめ」に慣れる機会が増える。
うちの会社はこういうことはできない、上司が首を縦に振らない、納期を考えると現実的ではない、予算が足りない、成功する保証がない…
そうやってあきらめて、手放して、より可能性の高いものにかけるのは、ある意味で処世術と言えるし、実際、それで「仕事ができる風の人」になれたりすることもある。けれども。

本日、試写会で、松居大悟監督の「アイスと雨音」という映画を見た。だから、もう一度「けれども」と言いたくなる。
あきらめが悪い人間は、あきらめなかったことによって、ときに、奇跡のようなことを起こせるのではないかと。

この映画は松居監督が実際に経験した、ある挫折がもとになっている(詳しくは公式サイトで)。彼と同じような経験をしたら、大抵の人は、そこであきらめる。けれど、「あきらめが悪い」監督は、今回「映画」というかたちで、そのリベンジをするかのように、この作品をまとめあげた。

見ている間、しきりに自分の中の何かがズキズキと痛んでいた。

それは、あきらめに慣れた(あるいは慣れたふりした)自分の中で起きた、あきらめが悪い登場人物たちと、何より松居監督、そして彼を支える多くの人々に対する嫉妬と拒否と敬意が入り混じった反応だったかもしれない。

そういえば、僕がこれまで仕事した中で「やっぱり、すごいなぁ」と思った方々の多くは、どこかで「あきらめが悪い」部分をもっていた。
(まあ、単にあきらめが悪いだけの人も、世の中には存在するが…)

一見、不可能とも思える「あきらめきれない」を実現できたとき、僕らは素直に、その人と、その事物にたいして敬意をいただくのだろう。

アイスと雨音」。
今、何かをあきらめようとしてる人も、絶対にあきらめたくないという人も、これを見れば何か変わるはず。
見る者の心を揺さぶって、これだけはあきらめきれないというものを、いやでも思い出させてくれる映画だった。


*この文章は、「書かないよりは、まし。」に収録しました(不定期更新)

*月に一度、「現代ビジネス月記」を書いています(あきらめずに定期更新)

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