映画「君が君で君だ」を見た。アイの愛が、隘で哀だった。

「恋と愛の違いってなんだろう?」

もし男子中学生がこう書いてるのなら微笑ましいものがあるが、あいにくこの文の書き手はアラフォーのおっさんである。それでも、いい歳して、たまにそんなことを考える。

両者の違いはいろいろ定義できるだろうが、まずは「何らかの成就を求めるのが恋で、求めないのが愛」と言えそうだ。たとえ、いま片思いであったとしても、多くの恋は「成就」というゴールを視野に入れている。相手からのリアクションを一切求めず、ただずっと思い、見守るというのなら、それは愛に近いだろう(あるいは一種の「ファン」なのかもしれない)。

じゃあ、映画「君が君で君だ」で描かれる思いと行動は、はたして「愛」だろうか。いきなり大きくコース変更して恐縮だが、僕が3週ほど前に試写会で見た、この映画の話をしたい。

* * *

あらすじを長々書くのは好きじゃないから、詳しくはリンク先を見てほしい。
この物語は「姫」と呼ばれる女の子と、それを(見)守る3人の男が主要な登場人物だ。「姫」が大好きな男性ーー「尾崎豊」「ブラピ」「坂本龍馬」にそれぞれなりきり、彼女のアパートの近くで10年間もその生活と変貌を見守る男たち。

「おいおい、ストーカーかよ」という声も聞こえそうだが、彼らはストーカーですらないのかもしれない。あくまでイメージだが、実際のストーカーならその対象にどこかの時点で接近しようとすると思う。本作の「尾崎」も「ブラピ」も「龍馬」も、「姫」と交わることを望まない。けれど、ある出来事から、彼らは姫と接することを余儀なくされるーー。

* * *

この映画は、「アイ」にあふれていた。

まずは、「I(私)」。

自分の名前を捨て去ってまで、「姫」を見守る3人。だが、そこにあるのは圧倒的に「私」、というか「私」しかない。
ずっと行動を見守り、盗聴し、同じものを食べ、隠し撮りの写真を並べて神格化し、彼女に決定的なピンチが訪れても決して近づかない。
彼らは誰も「Her」のことなど考えてはいない。彼女がこのことを知ったらどうなるかなど気にせず、頭の中を占めているのは「(彼女を愛している)I」のことだけだ。
僕が僕であるための、愛。そんなものは決して彼女を喜ばせない。

そんな「アイ」の「愛」は、同然ながら「隘(狭い)」。

その「愛」は人を寄せ付けない教団の教義のようだ。自分たちで勝手に愛し方を決め、厳密に従う日々。けれど、それはまさに狂信的な教団と一緒で、しだいに「ついていけない者」が出てくる。物語が進むにつれて、「尾崎」「ブラピ」「龍馬」の関係が変わっていくのは、誰がその教義を最後まで守り、誰が守れなかったかということでもある。

もちろん、はなから「教徒」ではない「姫」や、彼女を追い込む借金取りたちにとって、その教義は異常に映る(だから、ある程度分別のある観客なら、借金取り役の向井理に一番共感するかもしれない)。
よく言えば、真剣で純粋であるがゆえの狭さ。だが、多くの人は人生で半端者であることを選び、だからこそ、その愛は広がりを見せる。

この「隘」な「愛」を目の当たりにして、湧き上がってきた感情は何か。一言で言えば「哀」だ。

そりゃあ、この物語を笑い飛ばせる人だっているのだろう。荒唐無稽な筋書きと、役者たちが全力で演じた(それでも滑稽な)生きざまに、「ああ、ありえないものを見られて、面白かった」なと。
でも僕の感想は違う。とんでもないもの、より正確に言えば、とんでもないすれ違いを見て(見せられて)、なかなか言葉が出なかった。

人の思いは、おうおうにしてすれ違うものだけど(だからこそ多くの恋は成就しないのだけど)、片方がそれよりはるか手前に、あるいは、それよりだいぶ先に進んでいるからこそ起こる、どうしようもないすれ違い。
そんなところまで行き着いてしまった「愛」を、いや、もはや「愛」と呼んでいいかわからないようなものを全力でぶつけられて、僕は悲しく、そして正直、気持ちが悪かった。

試写会場を出る前、関係者に「問題作ですね」と話しかけた覚えがある。
われながら陳腐な言葉だ。でも、この映画が「問題を起こしうる作品」という意味では、適切な一言だったかもしれない。

* * *

君が君で君だ」は、7月7日、つまり七夕の今日、全国公開される。
池松壮亮、満島真之介、大倉孝二の爽やかな笑顔が輝くビジュアルと、「超純愛エンターテイメント!」のコピーに「ちょうどいい映画」を想像して、何も知らないカップルが見に来る可能性は高いだろう。

覚悟したほうがいい。この映画は、そんな前戯ムービーではない。

本作には、お互いの「愛の守備範囲」を嫌でも浮かび上がらせる力がある。もしかしたら、相手の見たくない愛の一面を見るかもしれないし、自分の愛の狭さや広さに驚かれるかもしれない。
はっきりさせたいことがある関係なら見るべきだろう。そうでなければ、なかなかリスキーだ。

僕にはそんな勇気も相手もいない。しかも仕事は山積みだ。きっと、いつもと同じく、粛々と働いているだろう。
ただ、手を休めたとき、この映画が全国でどんな「問題」を起こしているのか気になって、検索などするかもしれない。

言うべきことは余さず書いた。あとはただ、この作品の行く末を静かに見守るだけだ。
それが僕なりの「アイ」だと言ったら、言い過ぎだろうか。

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滝啓輔

書かないよりは、まし。1(2016年〜)

「今日の、いちばん。」ほどはまとまってないですが、それでも書きたいと思ったことを、つらつらと。
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