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「話を聞いてくれる友」がいることは、しあわせだ。/今週の、いちばん。38

このnoteを書くとき、結構な割合で悩むことがあります。
それは「何を、どこまで書くか」ということ。
僕が決めた、その週(実際には前の週の話題が多いですが)で、自分が「いちばん」心が動かされたことを書くというルール。
それを忠実に守ろうとすると、どうしても書きづらいことが出てきます。

じつは正月早々、けっこう大変な目に遭いました。
本当、ここ何年かでいちばん、肝を冷やした「事件」かもしれません。
そのことをストレートに書こうかなと思ったのですが、やはり書きづらい。
その話を書いて、まわりまわって身近な人を心配させるのは嫌ですし、またその話題に人を巻き込む可能性もある。
なので、その話は、なるべく文章としては残さない、と決めたのです。

とはいえ、それで心がすっきりするというわけでもないのですね。
嫌なことはすぐ忘れよう、自分の胸の内にしまおうという人もいるでしょう。
でも僕の場合は、むしろ、自分の中の負の出来事を、できるだけ外に出して、しかも可能なら笑いやネタに変えたいという気持ちがあって。
「いやあ、こんな最低なことがあってさあ…」
と何度か切り出すうちに、心の整理がつくタイプなんです。

そんなこんなで、「事件」の起きた日の翌日、たまたま「現場」近くで飲んだ友達に、その話をしたんです。
正直、本当に引くような話なので、最初は全然ウケなくて。
ただ、それでもしつこく、そのエピソード(やそれにかぶせた話)をしていたら、まわりもようやく笑ってくれて。
よし、むしろこの話を上半期の「すべらない話」に磨き上げるぞ、といった前向き(?)な気分にもなれました。

一瞬、話題を変えますが、僕、よく「編集は『問題解決』だ」という話をするんです。
OB訪問で来た学生さんなどに、「編集者は本を作るのが仕事じゃなくて、『本を通じて読者の問題を解決する』のが仕事なんだ」とかぶつわけです。
だから、普段は結構「問題解決」アタマで生きていたりします。

でも、いざ自分が「問題」にぶちあたったとき、必ずしも「解決」だけが対策ではないんですよね。
だって、冷静になって考えれば、そのとき、自分でも解決しようと思えばできた問題だったはず。
けれど、そのときの自分は、平常心を失っていたし、他にも色々事情があって、スマートに解決できなかった。
そこを、いま、「もっとこうできたはずだよね」と責められても、つらいだけなんですよね。

大変な目に遭ってからすぐの僕が求めていたのは、ただただ「聞いてくれること」でした。
そして、できれば、「しょうがないなぁ」とか、「そりゃ、きつかったねぇ」とか言ってほしい。
僕は運よく、そういう友達に恵まれていて。
いろいろ大変だったけど、プラス・マイナスで、まだまだしあわせだと思った今日この頃です。

今週のいちばん、友のありがたみを感じた瞬間。それは1月4日、新宿の居酒屋の個室でこれでもかと話した瞬間です。

*「今週の、いちばん。」は、その1週間で僕がいちばん、心が動かされたことをふりかえる連載です(下の「このマガジンに含まれています」のリンクから全部の記事が読めます)

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