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今週の、いちばん。第23回/「全部、ひとり」は、やっぱりつらい。

「ひとり暮らし」と「フリーランス」は似ている。
と言ったら、フリーランスかつ、ひとり暮らしの人から色々ツッコミが入りそうだけど、そこはひとまずお許しいただきたい。

「ひとり暮らし」も「フリーランス」も基本は「全部、ひとり」でやることだ。
生活、あるいは仕事の自由度は高いけど、その分、自分ひとりでうまく回す必要がある。
ちょっと体調を崩したときでも、忙しさでてんてこ舞いのときでも、全部ひとりで色々なタスクに対応しなければならない。

先日、自宅でちょっとした水漏れがあったのだけど、まさにそのとき、「全部、ひとり」の辛さを感じた。
水漏れを直すために業者さんを呼んだのだけど、昼過ぎにしか来れないため、仕事の打ち合わせと重なって、同席が難しい。管理人には何度も電話したのだけど、つかまらない。
最近ただでさえ、仕事が忙しい僕はその手配一つもちょっとしたストレスで、朝から無駄に疲れてしまった。

けっきょく、水漏れをそのままにして仕事に行き(トイレの水漏れだったのがせめてもの救いだ)、翌日、土曜の朝から対応することになった。そして工事終了とともに、たまり気味な仕事を片付けるため、オフィスに向かった。

もちろん、そんなちょっとしたトラブルにげんなりしてしまうのは、僕の段取りの悪さもあるのだろう。
ただ、仮に僕がもっと日々の仕事を精力的に片付け、突発的なトラブルにも即時対応できる「ひとり暮らしのプロ」のようになったとして、それって本当にいいことなんだろうか?
「全部、ひとり」の生活に慣れてしまうより、「仲間」や「家族」を求めるほうが、人として自然なことかもしれない、なんて柄にもないことを考えてしまう。

ひとり暮らしを始めたときは、「全部、ひとり」の生活にワクワクする気持ちもあったけど、そんな生活を10年以上続けると、「全部、ひとり」の責任とか、リスクとかに気づいて、ちょっと疲れを感じたりもする。
最近「自由と不自由のバランスシート」が釣り合っていないように思うのは、単に年を取っただけなのかな?


今週の、いちばんつらかった瞬間。それは、9月13日、神楽坂の自宅でトイレの水漏れ工事に立ち会っていた瞬間です。

*「今週の、いちばん。」は、その1週間で僕がいちばん、心が動かされたことをふりかえる連載です(下の「このマガジンに含まれています」のリンクから全部の記事が読めます)

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