見出し画像

劣等星でも、相対的に劣っているのであれば、それはそれで、

 何処まで歩いても街が続いてくし何処まで電車に乗っても街が増えていく、なんと都会かと、むやみやたら心躍らせながら歩いて乗り回ったのは2022年の終わり。晴天に恵まれた広い空は高い人工物に遮られても関係なくて、その先に広がる風景は終わりが無くて、あちらこちらに生活や人生、果ては大きな夢までぴりぴりと感じるような。知っていた子達が夢を抱えて飛び出した先の、大きな街。
 東京。
 私はいい歳で芝居に出会ったのでそんな彼彼女らを手を振って見送るしかなかったのだけど私個人は若い内に芝居に出会わなくて良かったのかもしれないと思う。
 多分、私はこの街で生活をする事はできる。
 多分、夢を追いかける事はできなかった。
 自意識過剰と自己嫌悪が積もり積もって終了するような、そんな人間なので。


 春が来たと思ったら雪が降り、湿り気の鬱陶しさと戦う毎日が続く2024年3月の終わり。常日頃新幹線で通り過ぎるだけだった新山口駅の寂しくも美しい風景の中に立つ。なんとなくこの先、を感じさせる駅の風景の中の整ったホールに、随分と軽い気持ちで観劇に訪れた。

 美しい名前の星。名前のない星。星と星を紡いで彩られた星座。選ばれた星、選ばれなかった星。

 きらきらと輝くメロディが頭蓋骨の中でループする。刻むリズムと弾む足音が見えない暗がりを照らす。
 指さされた星々が素知らぬ顔で見下ろす、指さされた高校生たちの、紡いでいく今とこれからの物語。
 物語の高校生たちは、物語を構成した高校生たちは、数十年経ったあと歩いてきた道を振り返って、何を思うのだろう。
 選んで何かを捨てていく。自分が他者へするように、選ばれて、選ばれなくて、誰かに線を引かれて生きていく。居場所の無い者同士で居場所を作ったとて、結局その中で居場所の無い者は作為的に作られる。選ばれて選んで選ばなくて選ばれなくて、捨てられては捨てていって。自分への悪意には敏感な癖に誰かへ刃先を突きつけている自覚なんてない私達は、きっといくつになってもそのまま生きていく。傷だらけになって流した血に滑りながらも、温かい手のひらと鋭い刃を互いに差し出しながら生きていく。
 きっと、多分、いい歳になったってそんなものだ。


 いつまでも活気が溢れていつまでも輝いていつまでも夢が無限だと勘違いさせてくれる優しい街。とても、優しい街。
 排気音、走行音、笑い声、風に乗って行き来する誰かの人生の音。心地良くて走るのを忘れるような音の洪水。
 2022年の終わりにある目的を持ってたった二日間だけ東京を歩いた私の脳裏には、数年前に広島を発った二人の女性の存在があった。
 
 「やめちゃいました」
 電話の向こうで泣きじゃくるKは、懺悔と呪詛をつぶやき続けた。彼女が致死量の善意と悪意を向けられていたことは知っていた。私にはそれをどうすることも出来なかった。
 「ごめんなさい」
 その言葉にそんなことない私こそ、と返すのが精一杯だった。だって私は何も出来なかったし、何もしなかった。
 何も思い付かなかった以上に、踏み込まなかった。善意と悪意の集合体の破壊力に刃向かう気力は、初めからなかった。
 私はただ怖くて、寄り添う振りをして逃げていたんだよ。

 数年後、Kは近畿のある場所でダンサーになったと、SNS上で知った。添付された画像で弾ける、Kの生き生きとした笑顔は、とても綺麗だった。
 私には何かをいう資格は無い。
 おめでとう、も、応援してる、も、何も言えない。
 
 

 その数年後。東京へ行くと決めたSを送りに広島駅北口ののロータリーに入った。最後とは思えないどうでもいい話をして助手席から降りた彼女は、出会った頃から苛烈な子だった。周囲を焼き尽くすような輝きに嫉妬する余地などなく、眩しさに目を逸らせることを許さない重力を持った子だった。
 Sはありきたりな別れの言葉の後さらに振り返り、満面の笑みで言った。
 「早く私より上手くなって下さいね」
 
 それは、とても綺麗だった。
 Sは東京で、私なんかの手の届かないところで輝いている。
 メディアの向こうのSの笑顔はやっぱり、いつ見ても綺麗だ。



 2022年の終わり。一人。東京。たった二日間。
 思った通り、思った以上に現実を突き付けられて、それでも心は擦り切れる様子もなかった。
 傷付けられることに鈍くなって、傷付けることに鈍くなって、きっと私は私のまま、いつか私を仕舞うことになる。

 2024年の3月。仲間と、山口。たった一晩。
 想像以上の輝きで、ちょっと目を逸らしたくなった光景は、思ったよりも心に爪痕を残した。
 その痛みは存外、心地良い。
 いつか私を仕舞う日に思い出す、もしかしたらそんな夜に、なったのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?