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あと一ヶ月

「一年温めた台本が、あと一ヶ月で上演になりますよ」
稽古帰りに投げられた言葉。
その言葉は半分は間違いで、半分は正解だ。

二品目公演稽古の頃、頭の中に浮かんでいたのは兄弟の姿だった。戦場で敵として出会った兄弟。その表情を描きたい。
そうして三品目を書いたが、ボツにしたプロットが他にあった。ボツにした理由は、面白い面白くない以前に勉強不足。
そしてそのプロットを一から書き直して台本にしたものが今回の五品目。
だから、五品目の台本は約一年前に完成したものの、温めていた期間は長い。

勝手に「先生」と呼んでいた男性が居る。広島市近郊のことを徒然に語っていたブログの主。更新が途絶えどうやら亡くなられたその男性は、この世に居ないながら予約投稿で読者をあざ笑った。
遂にそのブログが消えた。
わかっていた。
そうなる日が避けられないとわかっていた。
彼の文章を読みたい。
彼の撮った風景を見たい。
会ったこともない彼の、きっと同じ街にいながらすれ違ったこともない彼の、文字列のテンポが思い出せない。
何度クリックしても元には戻らない。存在しない。それでも、ブックマークが消せない。

一年前の冬、猫が死んだ。
皆、口々に言う。虹の橋を渡った、49日は傍に居る、あちらで元気に走り回っている。
どこにあるんだ。その数字は人様が勝手に決めた数字じゃないのか。あちらじゃなくてなんでここじゃないんだ。
わかっている。わかっていた。
先に逝くなんてわかっていた。
死んだ後も押入の隅から、クローゼットの中から、割れた爪や長いヒゲがひょっこりと見つかって、その度に家族で笑った。
もう、一年以上経ってしまった。
もうどこからも、それらしい痕跡は出てこない。
あれほど抱き上げた重さも、あれほど嗅いだ匂いも、散々呼ばれたあの声も、思い出せない。
捨て時を失ったブラシが、部屋の隅で埃を被っている。

叶えられる願いは、私自身が動いて叶えてやる。そうやって生きてきたし、きっとそうやって生きていく。
叶えられない願いは鎖になって、幾重にも首に巻きついて少しずつ重みを増していく。

巻きついている。
巻きついている。
これは推進力になり得るのだろうか。
それとも単なる足枷か。
わかっている。
きっとわかっている。
私にはわかっている。

あと一ヶ月。
毎度もう二度としないと思う割にそれでも次を考えてしまうのは、文化の継承でも地域貢献でもなく、大いに自己満足のため。
あと一ヶ月。
生きようと思っています。

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