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31・五木寛之の「ただ生きていく、それだけで素晴らしい」


五木寛之のエッセイ「ただ生きていく、それだけで素晴らしい」を読んだ。

心がほっとしたというか 自分のすべてを肯定されたような安ど感がひろがった。感じるところが多かったので、そのうちいろいろ書いていきたい。

きょうは「鬱の時代には、鬱で生きる」というところ。
本で「戦後50年は「躁の時代」で 今は鬱の時代」と彼は書いてるが それは私がうすうす感じてたことだ。昔は 未来が希望に満ちてたが、今はそんなあっけらかんとした気分じゃない。 昔は「躁の時代」だったのだ。
今は未来がバラ色に感じられないのは、私が年取ったからだけじゃなく 今が「鬱の時代」のせいもあるのだろう。

本の中の「連日のように胸を痛めるニュースがあふれる中で、いつも朗らかに、何の疑いもなく生きているというほうが、病気なんじゃないかと思う」という彼の言葉にうなづく。
ただ、胸を痛めるニュースというのは今までは報道されなかっただけで、
それが明るみにでて報道されるということは一歩進んだことかもしれない

「今は時代が鬱なんだから鬱の時代の生き方をしていけばいい」の言葉に、そうだよなあ、ウツウツした気分になるのは、年のせいもあるけど時代のせいもあるんだ。無理して気分を明るくしようとしなくていいや。テンション下がったまま生きていけばいい。たまには明るい気持ちになることもあるだろうと、思えた。



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