多くの痴漢冤罪事件から考える、「シャチハタの『痴漢対策スタンプ』廃止」論について

 まず冒頭で申し上げさせていただくが、痴漢は悪質な犯罪である。痴漢をする連中は性器を取り除くべきだと思う程度には憎むべき犯罪である。

被害者の尊厳を踏み躙る極めて重大な凶悪犯罪の一つである。最近では女性だけでなく、男性側も痴漢被害に遭ったという話も出始めている。
 被害者の多くは社会復帰に大きな困難を伴う精神的傷害を受ける為、絶対に許されない事案である。
 そのような中で、シャチハタがとあるスタンプを発売した。

 切っ掛けは、「『痴漢対策』として、安全ピンで刺せばいい」という意見だった。賛否両論の激しい議論になった中で、とある鍼灸師が「安全衛生の責任が取れますか。別の方法を模索してほしい」と発信した至極真っ当な意見に対して誹謗中傷が殺到したことも、今回このような物が開発された一因となっている。

 私の結論としては、この商品は「『安全ピン』とほぼ変わらない」と考えている。どちらかといえば「より悪質な酷い物」であり、即刻発売中止すべき事案である。
 その理由は二つ。
「現状における『痴漢事件の捜査立件』が極めて杜撰でありながらそれが罷り通り、数多くの冤罪が出来上がっている」構図。
そして「冤罪事件だった場合における冤罪被害者への補填が一切行われないこと」である。

 痴漢は重大犯罪である。取り締まるべき悪質な犯罪である。しかし一方で、その痴漢事件において冤罪が発生した場合はどうなるだろうか。
 加害者扱いされた冤罪被害者は、一度でも「痴漢だ」と言われて連行されれてしまえば、その時点での名誉が著しく傷つけられ社会的信用が地に堕ちる。一般人が警察から激しく尋問されて、嘘の証言をしないと断定できるだろうか。それどころか、弁護士から「やっていなくても罪を認めてしまって直ぐに釈放されたほうが、まだ現実的である」と言われる始末である。実際にその犠牲となって、微物採取も受けながらそれを証拠として採用されず、冤罪でありながら最終的には罪を認めさせられて帰国した外国人労働者のケースも実在する。

 仮に取り調べ等を耐え抜いて裁判を起こしたとして、日本の刑事事件における有罪率は99.9%である。裁判になればほぼ負けるのが現実である。「痴漢冤罪はほぼ存在しない」のではなく、「立件させられた時点で冤罪であっても痴漢犯罪者に確定させられる」のが今の司法である。

 実際に、捜査自体が酷い惨状でありながら一度は有罪にさせられた事件を幾つか紹介したいと思う。
 その他の裁判についても紹介しながら、現状の痴漢事件に対する問題点、そして解決の模索について取り上げたいと思う。

実況見分が極めて杜撰でありながら、一審で有罪判決を突きつけた「高田馬場痴漢冤罪事件」

 2003年。西武新宿線で痴漢事件が発生した。高田馬場駅で被害者が加害者(後に無罪)の男性と共に電車を降りたことから、高田馬場痴漢(冤罪)事件と呼ばれている。

 事件当時の捜査は極めて杜撰であった。
・基本的に被害者女性の意見しか聞き入れられていなかった
・にも関わらず、冤罪男性が身につけていた派手な時計については一切触れていなかった
・事件発生当時、被害者女性と冤罪男性の間には距離があり、スカートの中に手を深く入れることが物理的に難しかった
・それが可能だったらしき外国人男性について一切の証言が無い
・その外国人男性の体格等を考慮せず実況見分を行い、検証する以前から「冤罪男性を加害者と断定する」誤った捜査が行われた
・それを立証するためだったのか、限界日数まで勾留させられて厳しく自白を強要された

 最初から結論ありきの捜査だったことは言うまでもない。特に、「冤罪男性からの付着物採取を一切行っていなかった」という、通常では考えられないような杜撰な捜査が幾つも露呈していた。

 これで、一審は有罪にされたのである。

 後の控訴審では、裁判長直々に上記の要素が一点ずつ指摘され、逆転無罪となっている。
 だが、それは控訴したからこその判決であり、通常このようにひっくり返る事は、通常の裁判では難しいとされている。そもそも、これだけの酷い捜査や立証すらできていない惨状の中で有罪判決が出てしまえば、冤罪側は控訴を諦めるしかなく罪状を受け止めるしかない。冤罪事件が殆ど無いのではなく、冤罪を無理矢理にでも正犯にさせられているから、冤罪事件として表に出てこないだけである。

 更に、極めて悪質を通り越した、卑劣な判決が出された事例がある。

完璧に物理的不可能でありながら有罪判決が出た「三鷹バス冤罪事件」

 2011年。三鷹を走るバスの中で痴漢事件が発生したとされる。

 この事件において最大の焦点となったのは、車内の監視カメラの映像ではなく、被害者側の証言一本になっていた。冤罪男性は、常に左手で吊り革を握り携帯電話の画面を眼前で注視しながら右手で操作していたことが車内映像で確認されている。にも関わらず、被害者女性は「手で触られた」と証言している。物理的に不可能であり、明らかに被害者女性の証言がおかしいことは明白である。

 それにも関わらず、「被害者女性の証言には信憑性があり、『犯行は不可能ではない』」として有罪判決が下されたのである。
 何処に犯行が不可能ではない要素があったのか、当時の裁判長を徹底的に問い詰めたい心境である。なおこちらも、控訴審で「一審の判決は論ずるに値しない」とばかりに、逐一全ての証言について裁判長自らが否定する説明を行っていた。

 この二つの冤罪事件で共通しているのは、「物的証拠が一切見つからない・冤罪男性は否認を続けていたにも関わらず、有罪判決が出ている」という事実である。原則として「推定無罪(疑わしき罰せず)」である筈の司法において、殊更痴漢だけは「推定有罪(証拠はないが罰する)」理論が罷り通っているのである。明らかに警察・検察・司法が真面目に仕事をしていないのである。これで、果たして「冤罪は存在しない」と言えるだろうか。限りなくNOに等しい。

 そのような状況を利用した、悪質な事件まで発生してしまった事例が、大阪で二件も発生している。そしてこれが、私があのスタンプに対して大反対している理由である。

痴漢冤罪事件史上最悪の事件「大阪市営地下鉄御堂筋線痴漢捏ち上げ事件」から考えるスタンプ否定論

 2008年。被害者女性(後に加害者女性)と主犯男性が、その場に偶然立ち会わせた会社員男性(被害者)に対して演技を行い痴漢を捏ち上げた結果、会社員男性が逮捕されている。

 この事件では後に加害者女性が証拠の提出を拒否したことで追求を受けて自白し、最終的には主犯男性と共に逮捕・有罪判決が下されている。
 だがこのような事件が、2017年に同じ大阪市営地下鉄で再び発生している。その際にも捏造が発覚して、最終的には加害者二名が逮捕されている。

 「捏造が発覚したから良かったではないか」という意見もあるだろう。だがこの問題の本質は、どちらも『警察の取り調べによって捏造の証拠等が見つかり、逮捕できている』ということである。
 つまり、『事件発生時点で冤罪被害者の社会的信用が失墜している』という被害が発生している上で、物的証拠が見つかったからこその捏造発覚であり、『冤罪側に濡れ衣を着せられる物的証拠が見つかれば、冤罪が正犯に容易く返される』
事案となる。

 例えば今日、貴方は電車やバスに乗っただろうか。乗った人に伺いたい。
「自分の近くに座っていた、もしくは立っていた人が何をしていたか、全てはっきりと覚えていますか」
 通常、人間の視覚情報力そこまで強くない。覚えようと意識しない限りは、どのような人相の他人がどのような行動をしているか、存外目に入らないものである。「いいや、私は確実に完璧に把握できる」という自信がある方は、東大生よりも遥かに優秀な頭脳をお持ちなので、是非とも国家の特殊機関への就職をお薦めする。
 さて、普通の一般人である私達が電車に乗っていたとしよう。スマホや読書に目を向けていたり、転寝していたり友人達と談笑しているかもしれない。

 そのような中で悲鳴が上がる。
 乗客全員がその方向に振り向くだろう。女性が男性を指差して「この人痴漢です!」と叫ぶ。男性は慌てふためくが、手にはスタンプが押されている。
 この状況で、果たして何人が「いや男性は冤罪かもしれない」と考えるだろうか。


 誰も考えなかったからこそ、同じ場所で二度も捏ち上げ事件が発生しているのである。しかもこの当時は『痴漢防止スタンプ』など無い状況で逮捕されている。そして、痴漢捜査は『推定有罪』が原則として捜査されている。そこに、『スタンプ』という証拠が揃えば、警察が更にまともに捜査するはずもないことは、火を見るよりも明らかである。
 これについてシャチハタに問い合わせたところ「現時点では証拠として採用されることを想定していない」という見解を示している。だが、裁判においてこれが物的証拠として採用されれば立場は大きく変わる。現状の痴漢事件の状況が今後も続くならば、将来的に「冤罪利用に容易く使われる物的証拠」として、このスタンプが採用されることは言うまでもない。だから反対しているのである。
 では、どうすべきなのか。

やるべきことはスタンプではなく、「痴漢犯罪の予防」・「捜査の適正化」・「冤罪賠償の設立」

 冒頭にも述べたが、痴漢は犯罪である。許されない犯罪である。

 同時に、冤罪だった場合の冤罪被害者が被る被害は尋常ではない。社会的信用を失い、職も失い、お金も失い、何もかもを失うのである。
 「やましいことが無ければ問題ないだろう」という反論は、冒頭に記載した外国人被害者のケースが物語っている。適正な捜査が行われない痴漢事件においては、弁護士ですら「やっていない罪を認めて直ぐにここを出るべきだ」というとんでもない意見が罷り通る。
 だからこそ以前は線路に飛び出して逃走する事件もあり、それにより電車に轢かれて亡くなるケースも存在した。当時の弁護士達の見解も「疑われたら即刻逃げるべき」と口を揃えて断言していた。現在は物的証拠の捜査も多少は行われるようになったものの、依然として冤罪被害者側の物的証拠が採用される事は極めて稀であることは、数多くの痴漢事件事例が物語っている。「『逃げたからやはり痴漢している』のではなく、『痴漢と疑われたら逃げるしかない』から逃げる」のである。
 では裁判するのか。現状の痴漢捜査では尽く冤罪被害者側が不利に扱われる。冤罪被害者側の物的証拠が一切採用されず、冤罪加害者側の曖昧な証言のみが採用されることばかりである。そうして有罪判決が下されて裁判費用を全額負担されられた上で更に罰金刑である。この状況から仮に控訴したとして、更に増える裁判費用はどうするのか・生活費はどうするのか・社会復帰はどうするのか。それを考えれば、通常は控訴を諦めるしかないのである。

 加えて、仮に一審ないし控訴上告でようやく冤罪と認められた場合の国家賠償は尽くが棄却されている。

 原則的に痴漢冤罪における補償は一切無いと断言していい。された側が大損するだけである。三件目の記事における冤罪事件に至っては、『極めて卑劣な違法捜査や検察の動きが行われて冤罪被害者の人権が尽く踏み躙られたにも関わらず、犯罪加害者として警察の履歴に残り続ける上に冤罪被害者は何も賠償されない』という、残虐という言葉でも表現しきれない惨状が行われた。

 これを理不尽と呼ばずして、何を理不尽と呼ぶだろうか。
 一方的に犯罪を押し付けられて冤罪被害者は泣き寝入り、どれだけ無実を立証しても採用されず、一方的に犯罪者と決めつけられる。それが痴漢冤罪の現状である。
 そのような状況で更に冤罪被害を増やしかねないスタンプについては、私は即刻廃止すべきだと訴える。

 では、痴漢においてどのように対策すべきだろうか。私は以下のことを考える。

・痴漢予防として「男性専用車両」の導入を行う
 痴漢事件が最も発生し易いのは電車内である。その痴漢対策として「女性専用車両」が導入されたのであれば、「男性専用車両」の導入も当然の流れである。早急に導入を勧めるべきである。まずは予防である。

・痴漢捜査における厳正な適正化
 原則的に物的証拠の採用を最優先とする。曖昧な証言を取り除き、適正な証拠のみを採用する『極々普通の捜査・見解・裁判』を行うことを大原則とする。冤罪事件が一つでも解決するように、適正な捜査が行われるべきである。同時に、「本当に痴漢をしているクソ野郎は、絶対に豚箱に打ち込む」この覚悟が必須である。

・痴漢冤罪の賠償適用を拡大
 痴漢事件が冤罪であった場合、原告と被告を入れ替えた上で、賠償請求を認め、冤罪被害者が冤罪加害者に対して損害賠償請求を認めるようにすべきである。加えて、社会的地位が完全に復帰できるように国家や冤罪加害者が賠償を行うべきである。冤罪被害者が泣き寝入りする事態を避け、かつ本当に痴漢被害を受けている被害者が覚悟して裁判を行う環境に変わることによって、周囲から「あれは冤罪じゃないのか」と批難に晒されないような社会づくりを行う。

 以上の内容を早急に導入すべきである。
 痴漢被害者と痴漢冤罪被害者の救済、その双方を行うことが大切であり、一方的な救済では新たな軋轢を生むのみであると、私は考える。

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