見出し画像

バームクーヘン(ランダムワード小説)

ビルの屋上から街を見渡すと、なんだか急にすべてが阿呆らしく思えた。向かいのオフィスビルでは、ディスプレイに向かって猫背の男が熱心に仕事をしている様子が見えた。ただ隣の室では、会議テーブルの上で熱心に性交に励む男女も見えた。はたまたその二つ下のフロアでは、どういう訳か事務所のほとんどの社員が机に突っ伏して昼寝をしていた。様々だ。仕事のプレッシャーに押しつぶされかけて、息巻いて屋上まで登ってきた自分がまさに阿呆だ。しょうもない事々の一つでしかないのだ。
もうなるようになるし、ならんようにはならんよな。そう声に出すと、まさになるようになるし、ならないようにはならない気がした。
ゆっくりと階段を降りていく。さっきは処刑台へと登っていたのに、降りるときは英雄の気分だ。我がオフィスのフロアにたどり着き、無言で自席に戻ろうとしていると、佐々木さんに呼び止められた。
ねえ、部長のバームクーヘンあるよ。
自分をここまで追い詰めた部長の山下は、何かあるとバームクーヘンを買ってくる。バームクーヘン嫌いな奴おれへんやろ、が山下の持論だ。ここのところ毎週のように食べている。理不尽に罵られ、机の上の書類をぜんぶ散らかして、クソがぁ!と叫んで自分が飛び出したのが、十五分前。山下は、こういうときだけ手際がよい。
冷蔵庫に向かい、バームクーヘンを取り出した。箱を開けると、30度くらい、12 カットした残りの一切れしかなかった。事務所を見回す。誰も目を合わそうとしない。目視で数えると、8人しかいない。
そして、一切れのバームクーヘンが、中学時代野球部で3番手ピッチャーだった男の全力投球で、中空を横切り、窓ガラスをぶち破って、曇り空を突き刺した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?