【10分エッセイ#55】いつなんどきも「自分なりの意見」を持っておいた方がたのしい
※10分間で書ききる、下書き・推敲なしのぶっつけ本番エッセイ!※
わたし、大学生の時くらいまでは、すごく「あるべき論」が強い子だったんです。
よくも悪くも、というかまあ悪い意味での「優等生」だったというか。
「普通こうあるべきでしょ!」って思ったらそれを人に押し付けちゃっていました。
世の中の「こうあるべき」に沿ってくることのメリットも知っていたし、それによってうまくいってきた部分もあったので、そうなっちゃんですね。
その節にご迷惑をおかけした方は本当にすみませんでした。
社会人になってからは、自分が「こうあるべき」と思ってもできないことが多くなりました。
また視野が広がって、人や立場や状況によって、その時どうしたら良いかとか変わるなあということが分かって来たりもしました。
加えて、普通の話っちゃあそうなんですけど、「どうあるべき、っていうより、どうしたいかだよねえ」みたいなことも思うようになりました。
そんなこんなで、社会で色々なされている議論に対して「まあ色々な意見があるけど、人それぞれでそれでいいよね」みたいに思うこともやや多くなってたような気もします。
仕事は「これが良い!」っていう行動規範や価値基準が自分なりに割と明確にあって信念持ってやってたんで、もうちょっとプライベートなことでですかね。社会に対して思ってることとかそういうのです。
ただ、最近やっぱり、「意見は人それぞれ」ということは認めつつも、自分の意見をはっきり持つことってだいじだなということを再認識するようになりました。
たぶん今まで思ってなかったわけではないと思うんですけど、明確にそう感じるようになったという感じです。
何しろ、何らかのトピックについて、「自分はこれが良い!」と思うものをはっきり持っていた方が、違う意見を持つ人にあったときに、しっかり話ができて楽しいんですよね。
ちょっと具体例書く時間がなくて恐縮ではあるのですが。
少しでも違う考えにあったときに、何で違うんだろう、どういう前提やバックグラウンドの違いがそうさせるんだろう、というようなことを考えるとかなり興味深いです。
逆に自分はなんでこの考え方なんだろうとふかぼるのもまた面白いのです。
逆に「まあ人それぞれでいいんじゃない」的なスタンスでいて自分の意見がないのは面白くないと思うのです。
人それぞれで良いのは自明なのです。
人それぞれであなたはどう思うっていうのを話すのが、コミュニケーションなのです。
自分もつまらないし人もつまらない。その場の議論もつまらないし、自分の思考もなんも深まりません。
別によくわからないと話せないってこともないはずでして、よくわからなくても、「こう思うんだけど~」と何か意見を言い出してみるのは大事かなと思います。
仮説を持ってインタビューをしろ、的な話と一緒ですね。
これからも、「結局はひとそれぞれでいいんじゃない」というスタンスは持ちつつも、自らと他者の楽しみのために、意見はアウトプットしたいなと思います。
はい、ちょっと中途半端ですが今日は以上です。
すみません13分位かかりました。最近ちょっとへたくそ。
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