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「1万時間の法則」ってそうかもなと思った話

長年、宅建講義稼業をやっていてつくづく思うことがあります。
それはなにかというと、いちばん大事なリソースは“時間”なのだなと。
宅建試験の受験勉強なんか特にそうなんだけど、結局のところ“投入時間”がどれくらいだったか。

なので、ときたま「宅建受験勉強なんて、いうなれば優雅な“貴族の遊び”だ」みたいなことを言ったりしています。ぜいたくなんです。

投入時間=自分が自由に使える時間がふんだんにある。
そのうえ、そのことに興味がある。
そして健康だ。

なんでもそうなんでしょうけど、そのことで“それなり”になるには、意外と単純なんでしょうね。
それに取り組む時間があるか。
あ、そうか、意外でもなんでもないか。
当たり前か\(^o^)/


プロフェッショナルの定義

かの福岡ハカセの著書『動的平衡』シリーズの『3』にも、「第8章 動的平衡芸術論」の「プロフェッショナルの定義」で、“投入時間”につき、こう記されています。

〈世界的コンクールで優勝するピアニスト、囲碁や将棋の名人たち、トップアスリート〉として〈圧倒的な力量を誇示するプロフェッショナル〉である彼ら彼女らについて、われわれは〈あのような人たちは天賦の才能の持ち主なのだ。われわれ凡人とはそもそもの出来が全く異なるのだ〉と思いがちだ。

でもね、ちがうみたいです。

というのも〈DNAの中には、ピアニストの遺伝子も将棋の遺伝子も存在していない〉そうです。

ではなぜ彼らはプロフェッショナルになったのか。
はい、そのとおりでございます。

〈天賦の才能の有無以前に、プロフェッショナルたちの多くは皆、ある特殊な時間を共有しているのである。一万時間。いずれの世界でも彼ら彼女らは、幼少期を起点として少なくとも一万時間、例外なくそのことだけに集中し、専心したゆまぬ努力をしているのだ〉

・・・とのこと。

遺伝ではなくて、親が“その環境”を与えているのだと。
なるほどですね。

弱者の時間戦略。長時間労働のススメ。

この「一万時間」なんだけど、体感的に「もしかしたらそうかも」と思います。
もちろん体感的にというわけですからワタクシごとになるんだけど、昭和63年の11月に宅建講師稼業に足を踏み入れた当初、例の某大手専門学校なんだけど、いまでいうところの、そこは極めつけの超絶ブラック職場だった。

なんせ、帰れない。
その某大手専門学校は宅建講座を立ち上げたばかりで、入ってみれば地獄の過酷さ。
授業の準備(年明け1月からすさまじい講義数を要求された)もさることながら、その授業をやるための教材も同時進行で作るという、自転車操業の最高峰みたいな状況で、朝から深夜まで、ひたすら“宅建講師稼業”だった。

で、なんでそんなところに入っちゃったのかというと、ほら「宅建講師なんて誰にでもできる簡単でお仕事で、おまけに高給です」という甘言にだまされてね(笑)。

そのときの立ち上げメンバーは、1人ボス(当時31歳)がいて、その手下が自分(当時25歳)ともう一人(当時21歳)。

やばいでしょ、この年齢構成。
暴力が連鎖する東京卍のようです。

ほんとまじで殺伐としていて、でもね、オレ、殺伐としている環境が意外と好きなので、じつは言うほどどイヤじゃなかったのだが。あはは。

とはいえ、過酷で過激で、もちろん労働組合なんてないし、死にそうな業務量なんだけど、助けを呼ぼうにも仲間自体がいない。
全員が立ち上げメンバーであるがゆえ“日常が戦闘状態”だったから、つまり、手伝ってくれもへったくれもない。
休んでもいいんだけど、すると自分が自分を地獄に追いやるだけで容赦なし。
まさにプロレタリア文学。
朝9時から深夜0時くらいで、ほとんど休みなし。
ざっくり計算すると、低賃金にもかかわらず「15時間の強制労働×年間300日の地獄勤務=4,500時間」か。
もっとやらされてたかも。
24時間戦えますか、の時代です。

平成1年から平成3年まで、そんな地獄が続いたが、あれ、トータルで一万時間。
平成4年からプロになった感じがしました。
“プロ講師”か、単に人の書いたテキストで授業をやる“コマ単価講師”か。
その違いは、まぁこれはオレ流の定義だけど、プロかどうかは、教材を作れるかどうか、かな。
とくに問題集だね。模擬試験とかもそうだけど、問題を創作して、その解説を自分の言葉で書けるかどうか。
それができるようになると、楽。
「らく」という意味と「たのしい」という意味と。
そんなこんなで、カネも稼げるようになったのでモテはじめて、当時全盛期だったジュリアTokyoとか行っちゃったりしてボディコンまみれで、あーなんて人生って素晴らしいのだろうと。

小さな会社の儲けのルール

ワタクシは、こちら『小さな会社の儲けのルール』という本でランチェスター戦略を理解したんですけど、この本にも“一万時間”のことが記されています。

『「儲けのルール7」成功するためには長時間労働が不可欠(P.254)』に〈(その道のプロになりたい凡人は)働く時間が年間3,200時間以上でないとダメです。独立する場合、とくに最初の5年間は年間3,700時間以上必要です〉とあります。

あらま、若かりしころ、ちょうどそんな感じだったんだわワタクシ。
何年か前になりますけど、この本を読んだとき「忌まわしきスーパーブラック職場」と思っていたあの時代を思い出したわけです。

そりゃもちろん過激な強制力があったからこそなんだけど、あの一万時間が、いまの「おーさわ校長のノーテンキ路線」を支えてくれているのかなと。

いずれにしても、まぁ宅建試験の受験勉強(これは一万時間もいりません。300時間くらいです)にせよ、仕事でそれなりに結果を出すにせよ、時間の絶対量を増やすということに尽きるのでしょう。

量が質を産む

なので、最近のトレンドで考えると、働き方でいえば“副業”という捉え方だとダメなんでしょうね。
やるんだったら“複業”じゃないとね。

副業っていうと、空いている時間にちょこっとなんかやって稼ぐ、みたいな。
とはいえ、「時間を切り売りする」というスタイルで働くというんだったら正解ですよね。
でもさ、大事なリソースである自分の時間を他人に売って、その他人が「自分のビジネス」のために投下する時間(リソース)として“自分”が使われる。そんなふうにも思える。

もちろんこの手の働き方にもいいところがあって、それは「自分でなにも考えなくていいから楽だ」という点です。
与えられた仕事(作業)をすればいいと。
しかしながら、誰でもできる仕事を望むとなると、その仕事をその他大勢で奪い合うことになるから、そのバトルに勝ち残ってその仕事にありつくのも、けっこうたいへんかも。

とはいえ、プロになるのもたいへんだ。たとえば不動産取引のプロになりたい(自分で稼げるようになりたい)というんだったら、時間をちゃんと投入せよと。

たいへんだけど、自分の時間を投下するとしたら、悪くない方向性かも。

いずれにしましても、人生って、有限なんですよね。
いつか、時間がなくなります。
さぁ残り時間、何に費やしましょうか。
健康寿命って、男性だと73歳くらいまでだ。
なので、まだまだ時間があるみなさん、35歳くらいまでに、なにか打ち込めることが見つかるといいですね。

ということで、今回は“一万時間”について、あれこれ思うところを記しました。
最後までおつきあいくださいましてありがとうございます。

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