さくらももこさん、ありがとう。

雷がひどくなっていて雨がたくさん降った。井の頭線が止まって練馬では停電がおきた。
埼京線も止まっていた。
夏休みが空けた残暑に訪れるような、夏の終わりの不安定な天気な日だった。僕は実家のある場所でうちあわせをして、会社に戻るときだった。


夏はちびまるこちゃんにでてくる、「みつや」を思い出す。あんな駄菓子屋がぼくが小学生の頃にもあった。
小学生のころ、姉が買った七巻までの『ちびまる子ちゃん』を何回も繰り返し見ていた。『ダイの大冒険』や、『ドラゴンボール』、『ジョジョ』、そんなラインナップの中、唯一少女マンガがそこに並んでいた。

何回見ても笑い転げられるその作品はぼくの一部になっていった。アニメよりも、マンガが好きだった。
ズボラでおっちょこちょいで、おばさんみたいな口調のまる子が好きだった。

『さるのこしかけ』は、初めて買ったエッセイだった。
あまり本を読まなかったけど、さくらももこのエッセイはとても面白かった。
『もものかんづめ』、『たいのおかしら』もその後買った。
『あのころ』、『まるこだった』、『ももこのはなし』
も買って読んだ。自分のお小遣いで買ったり、親に買ってもらったりした。マンガを買ってもらうには心苦しかったけど、エッセイは文学として買ってもらえるし、面白いし、親にねだりやすかった。いつも新刊が出るのを心待ちにしていた。

あけっぴろげに旦那さんの馴れ初めや離婚の話が書かれているのをみて、なんて潔い人なんだと思った。
おじいちゃんは実は孫思いの人じゃなかったショックもあった。
愛煙家で、それでいて健康志向な、おとなのまる子が好きだった。

コジコジは自分で買った。3巻までしかなくて、続きが見たくてしょうがなかった。ちびまる子ちゃん 以上にキャラの濃い登場人物のひとりひとりが好きだった。
まる子でもたまちゃんでも無い、コジコジとじろうくんのやりとりが好きだった。おかめちゃんの飼育している「不思議乾電池」なんて、どうやったらそんな発想がうまれてくるんだろう。コジコジはまる子と違って、宇宙のこどもだったけど、さくらももこの哲学みたいなものを感じられた。ことばのひとつひとつが好きだった。

ぼくの学生時代はそんなさくらももこの作品にたくさんあふれていて、ぼくはさくらももこの世界にどっぷりだった。


さくらももこさん、ありがとう。
平成最後の夏ってことばはどうにもがっちりこなかったけど、なんだかおかげでしっくりくるような気がしてる。ぼくの青春はあなたが作ってくれたよ。

できればいちど会いたかったなぁ。

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