琳派、金屏風の陰翳

尾崎光琳 「紅白梅図屏風」

暗がりに浮かび上がる金屏風の水辺を眺める。すると、黒い服に縁次の黒帽子を被った小柄な男が岸辺に立って、ぼうっと水面を眺めている。その影は、黒々とした梅の幹に隠れ、銀箔の流れに浮かび混ざり合う。茫然とするうちに、男の姿はどこかへ消えて、画面の外の、ギャラリーの冷たい質感だけが残される。

金屏風はなんとも危ういバランスで「立って」いる。心に焼きつくような印象を残すようでいて、その実、つかみきれない何かである。画には常に隙間があって、そこに、私の不完全な知覚は、黒い男の影を捉える。間は影なのだろう。この陰影は金箔の世界をたえまなく揺らがせている。あやうい。

金屏風の危うさは、まばゆさに似ている。春に草木を眺める時、若芽を包むうららかな光は、喜びと至福と混ざり合って、舞い散る花の小さな花弁の動きを止めて、心に強烈な印象を焼き付ける。この時、目の端に映る白い光のようなものを、私はまばゆさと呼びたい。まばゆさは、温かさ、音、光景を鈍く包み込んで、脳内の闇に閉じ込める。そして、陰影をまといながら、湖面に浮かぶ睡蓮のように漂う。

おそらく、まばゆさ故に、屏風に金箔を貼るのだろう。金は、陰影に浮かび上がる光であり、心に閉じ込められた印象のまばゆさなのだ。記憶が浮かび上がるが如く、金屏風は冷たい部屋に浮かび上がる。時を越えているようでいて、儚く揺らいでいる、静謐なもの。金屏風が誘うのは冷たい桃源郷から漏れ出ずる何かだ。

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