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【第2回】自己分析は「仮説・検証」のためにある

前回の続きです。

仕事をすれば、今まで想像もしていなかった様々な経験に出くわします。それが「めっちゃおもしろい!」ということもあれば、「想像していたのと全然違うじゃん」とがっかりすることもあるでしょう。そうやってひとつひとつの経験を自分の価値観と照らし合わせて、じっくりと「自分のやりたいこと」を考えていくのが普通です。なぜなら、「とこかの会社に入れば定年の日まで面倒を見てくれる」という時代はとっくに終わってしまったからです。

今20歳の人は軽く100歳まで生きることになるでしょう。そして、やろうと思えば仕事もできる元気もあるはずです。20歳の時に入った会社が80年間安泰で、事業内容も変わらず、利益を出し続けてると思えるでしょうか?また、80年後の自分が今の自分と変わらず同じ価値観を持ち続け、同じような生活を続けていると信じられるでしょうか?

企業と個人が確実に変わらずいるなんて絶対に無理です。正直なところ1年後もどうなっているかわからないはずです。
そうなってくると、必ず訪れるのが「選択」のタイミングです。その時のために自己分析があります。

自己分析というのは自分がどういうことがやりたくて、どんなことが好きかという「仮説」を立てる為の作業です。

例えば、
「土日休みで残業代もしっかり出る働き方がいいな」
と思って大企業に入社した人がしばらく経って
「実際に働いてみたら、もっと仕事がしたくなった。時間で拘束されるのは嫌だ!」
と思い直してベンチャー企業に就職するとか全然ありなわけです。
もちろんそのあとに、
「こんだけ働いたから、少しの間はゆっくり働ける場所にいよう」
と思い、収入を減らしてでもフリーランスになることもあるでしょう。

いまはこれをしてみたいという「仮説」を立てて、実際に働いて「検証」していく。今の状況と自分の価値観を照らし合わせることを地道にやっていくことが自己分析です。仮説と違っていれば修正すればいいだけです。検証した結果、予想と違う答えが返ってくれば、また改めて考え直せばいいのです。これってとても「自由」なことだと思いませんか?

自己分析自体が終わらせる「課題」ではありません。そこがずれて認識されていることが多いので、あれだけ自己分析の本が大量に存在しているのです。
やってみたいことは全部やっていいし、自分と合わなかったり興味がなくなったりすれば、素直にやめていいんです。その経験が全部、次の「仮説」を立てる為の材料になるからです。

誰かを楽にして、自分も楽になれる文章。いつか誰かが呼んでくれるその日のために、書き続けています。 サポートするのは簡単なことではありませんが、共感していただけましたら幸いです。