SNSは有名人を一般人のところに引き摺り下ろしたのか?

『一般人の話題を独占する。』

これは、かつては有名人の特権でした。
そう、かつては。
現在は、どうでしょうか?

現在は、一般人がかつての有名人と同じように話題を独占することも珍しくなくなっています(まだまだ珍しくはありますが)。

例えばコンビニでアイスの冷蔵庫に入るとか、奇抜なことをすればたちまち世間の話題をかっさらうことができます。

もちろんかつての一世を風靡するというレベルに比べたら、ごくごく小さなコミュニティの、束の間の話題ではありますが……。


でもそれを言ったら、いまは有名人といえども、一世を風靡するというレベルで話題にされることは難しいですよね。

逆に、いくら有名人といえどもタイミングや内容によっては大した反応がないということだってあるわけで。


……なんてことを考えていくと、一般人と有名人の垣根は、SNSというツールによって取り払われたのかなあ。

なんてことを、よく考えてます。

ただこれを考えるとき、その後の部分が重要だと思っていて。


たとえば。

異なる2つの何かが混じり合うとき、その表現は、それを表現する人の立場によって変わってきます。

例えば、コーヒーにミルクが混じっていると表現するか?
それとも、ミルクにコーヒーが混じっていると表現するか?

みたいな。
もちろん、これに関しては、『知らんがな』が大多数だとは思いますが。

ただこれが『一般人』と『有名人』だったらどうでしょう?


SNSというツールは、有名人を一般人に混ぜたのでしょうか?

それとも、一般人を有名人に混ぜたのでしょうか?


僕にはどうにも、ここを勘違いしてる人が多いように思えてなりません。


たとえばたとえば。

もう少したとえ話を続けます。

劇場を考えてみてください。

舞台と観客席がありますよね。


有名人とは、舞台にいる人たちです。

一般人とは、観客席にいる人たちです。


有名人とは、注目される人たちです。

一般人とは、注目する人たちです。

あるいは、注目されると思っていない人たちです。


SNSというツールは、この『舞台』と『観客席』の垣根を取り払いました。

するとどうなるでしょうか?


<s>知らんのか?</s>


そう、一般人と有名人が混じり合うわけですね。



変化した劇場。

ここまでの話からすると、当然ながら、次のように問わねばなりません。

『一般人が有名人に混じった』のか?

それとも、『有名人が一般人に混じった』のか?


ですが、せっかく舞台とか観客席とかいうたとえを使っているので、ここでは次のように表現しましょう。

『有名人が観客席に入り込んできた』のか?

『一般人が舞台に迷い込んだ』のか?


どちらが正しいか?

さて、これらの2つの表現は、どちらが正しいのでしょうか?

当然立場によって、見え方は異なるでしょう。

ですが、事実としてはどうなのかは明らかですよね。


一般人が舞台に上がったんです。


注目されるべき行動を取ればスポットライトが当たって反応が返ってくる

この流れが存在するのが舞台です。

そして、スポットライトが当たる対象が有名人か一般人かということは、あまり考慮されません。

そんな場所が、舞台でなかったらなんなのでしょうか?


少なくとも、観客席ではないですよね。


で。

一般人の勘違いに話が戻ってきます。


観客席じゃないですよ、そこ。

観客席からヤジを飛ばすように、有名人を中傷している人がいます。

そういう人は、どうなるでしょうか?

大体、その有名人の取り巻きが過剰防衛したり、その過剰防衛の責任が有名人に向かうところまでがテンプレですね。

『影響力を考えろ』とか。


そんな話になってしまうのも、みんな、SNSというツールの意味を勘違いしているからなのではないでしょうか。

一般人が舞台に混じったのではなく、有名人が観客席に混じった。

そう考えているから、自分にスポットライトが当たる可能性を考慮できない。

もし当たったら、なんで当てるんだと憤慨する。



こういう人って、自分の人生も観客席から眺めるだけで終わるんでしょうね。



いやまあ、どんな人生を歩もうが、人の勝手なんですけどね。



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たこなしやき

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たこなしやき

たこなしやきだったよ まいにち たこやきをやく すごいやつ だったよ
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