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悪貨は良貨を駆逐する

※この記事は2022年2月27日にstand.fmで放送した内容を文字に起こしたものだ。


人間の作る「価値の仕組み」について考えてみる。

「悪貨は良貨を駆逐する」とは、「額面上は同じ価値を持つ2つの貨幣を流通させたときに、市場に残るのは実質価値の低い貨幣だけである」というものだ。

例えば、100円の金貨が目の前に2つあったとして、一方の金貨は金の含有量が50%、もう一方の金貨は金の含有量が45%だった場合、より市場に流通するのは45%の含有量しかない金貨の方だということ。
金の含有量が50%と45%のものが市場に流通したとき、実質的な価値がより高いのは50%の金貨なので、多くの人はこれをタンスに預金する。すると自然と使われるのは、金の含有量が低い金貨だけになるからだ。
たとえ額面上は同じ金額でも、多くの人は実質的な価値がより高い貨幣を懐に入れ、その結果としてより価値の低い貨幣が自然と流通するようになるのだ。

ただし、これは金本位制だったときの話で今のように金の価値を基準としない人工的な通貨管理制度のもとでは当てはまらない。
なら、どうしてこの話をしたのかというと、この「悪貨は良貨を駆逐する」というフレーズが、ニュアンスを変えていろんな場面に援用することができるからだ。

例えば、「悪人が善良な人を追い出して権力を握る」とか、「通俗的な文化が伝統的な文化を放逐する」といった感じでよく使われる。前者に関しては、悪人と善人をどう定義するかにもよるが、いわゆる私腹を肥やすためだとか、自分の周りにイエスマンだけを揃えたいからだとか、そういう自分の都合だけを考えて権力を握ろうとする人間に当てはまる言葉だと思う。

逆にこんな見方もできる。
「性格が悪い」「無慈悲だ」と思われていても、成果が出ているなら権力は握れるし、生真面目に働く人間を排除して結果だけを求める完全な実力主義にすれば、組織はいくらかまともになる、という考え方だ。
こういう組織には賛否両論あるにせよ、結果として人を楽しませたり、外貨を稼いで内需が潤っているならそれでいいと考えることもできなくはない。

人間は他の動物と比べて身体的に劣る点はたくさんあるが、賢さについてはどの動物にも優れている。
一人では獲物を倒せないから、多くの人間と協力して仕留めたり、一人では武器を作れないから、誰かに頼んで代わりに食料と交換したり。人間はそういう他人との協業に長けていたからこそ、今こうして高度な経済活動ができているわけだ。
だとしたら、過程がどうあれ価値のあるものを生み出した人間には相応の評価をすべきなのか。もしくは、いくら価値があろうとやり方が汚ければ評価に値しないと切り捨てるのかは、評価する僕ら自身がよく観察する必要があるだろう。

現在の資本主義がいつまでも続くとは限らないが、それなりにうまくワークしてることは間違いない。貨幣も今では暗号資産や電子マネーなど、実態がなくなっている。もはや紙である必要すらなく、お金というのはみんなが価値を感じている限り機能するということの証明でもあるようだ。
それを価値の下がった悪貨と捉えるのか。人の叡智が生み出した良貨と捉えるのか。
そうして資本主義の仕組みを少しずつ解きほぐしていくと、価値についての考え方もより深まるのではないだろうか。

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