鹿島ACL予選で敗退する/ロボッツのB2プレイオフ戦線/新しい1歩を踏み出す体験

1月の最終週から2月の頭にかけて大きな動きがたくさんありました。
今週は少し気持ちの整理をつける意味で。

1. 鹿島ACL予選で敗退する
2. ロボッツのB2プレイオフ戦線
3. 新しい1歩を踏み出す体験
4. 今週のニュース-コービー・ブライアント氏死去-

1.鹿島ACL予選で敗退する

 1月1日に昨シーズンの最終戦を終えた鹿島アントラーズですが、1月28日に早速今シーズンの試合に臨み、各方面から物議を醸しました。

 試合はACLの本戦出場権を賭けた予選であり、相手はオーストラリアの強豪メルボルン・ビクトリー。オーストラリアはシーズンの真っ最中であることに対してまだ鹿島は全員で集まって練習試合もしていないコンディション。みな想うことはありながらも、そこは言い訳にしない。ピッチからも、また選手を後押しするサポーター達からもそんな空気を感じる一戦でした。

 結果は試合をコントロールするも0-1での悔しい敗戦。残念ながら20シーズンのACLへの挑戦は1戦目にして終了しました。

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 1月の平日のナイトゲーム。且つ当日は雨天。どうしても選手を後押ししたいサポーター達が集まったゴール裏はこの状況の選手達にどう向き合えば良いのか、皆が悩みつつ、それでも悔しさが抑えられない重い空気となり選手達にもその気持ちは伝わった様な気がしました。

 本戦は非常にタイトな日程となる難しい大会。そんな困難を跳ねのけてアジアを乗り越えた世界に挑戦するという強い気持ちだけでは乗り越えられない高い壁でした。
 
 ただ、厳しい状況下で戦った選手、短い期間の中で考えを巡らせた監督、チームスタッフ。寒い雨の中選手達を鼓舞する為に全力を尽くしたサポーター達のことを誇らしく思いながら帰路につきました。

2.ロボッツのB2プレイオフ戦線

 先日の青森ワッツ戦を不本意な戦いで落としながらも今節ホームでの福島ファイアーボンズ戦を2連勝で再度仕切り直しが出来たロボッツ。幸いにも同地区の1つ順位が上の2位群馬クレインサンダーズも星を落としたことにより先週から突き放されずに済みました。
 同地区対決が多いこれからの時期は本当に1試合ごとに一喜一憂する状況でしょうね。

 1回しかそれぞれの試合を見ていないんですが、勝ちを渡さない戦い方という様にも感じましたが、上位との戦い方では少し不安が残る様な気もします。ただ不思議なんですがロボッツの選手って上位と戦う時はものすごくコンディシンが上がっていることが多い様に感じています。
 逆に言うと下位とやるときのムラっけが気になるところでもあります。

さて、そんなB2プレイオフ戦線ですが、

地区1位中1位 信州 .821(32- 7)<中>
地区1位中2位 広島 .821(32- 7)<西>
地区1位中3位 仙台 .744(29-10)<東>
地区2位中1位 群馬 .667(26-13)<東>
地区2位中2位 西宮 .667(26-13)<中>
地区2位中3位 香川 .615(24-15)<西>
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ワイルドカード1位 茨城 .590(23-16)<東>
ワイルドカード2位 F名 .513(20-19)<中>
ワイルドカード3位 愛媛 .513(20-19)<西>

 青森が信州、広島が愛媛に星を落としたり、群馬もこの5試合で2敗とリーグがやっと動き始めたなというワクワク感があります。
 茨城目線で言えば次の群馬戦は今季のターニングポイントなる試合になるかもしれません。最低でも1勝1敗、願わくば2連勝という条件ではないかと思います。直接対決の2連戦は燃えますね。アウェーだけど(ホームでも欠席多いけど)、凄く見たい1戦です!
(青森戦勝っておきたかったなぁーー!という取らぬ狸の皮算用)

3.新しい1歩を踏み出す体験

 SNSや人と話していると「ビギナーにもっと優しく」、「観客に対するホスピタリティ」という様な観点の見解を良く目にする。
 それは絶対に大事なことだろう。今ドキ「一見さんお断り」の様な空気で商売することが正しいとは思えない。

 ただ、少し原体験の様な所を振り返ると初めて行ったときは人に連れられてハマり、その後都合が合わなかったが、どうしてもサッカー観戦がしたい。だから一人で行こう。
 こんな経験を私はしたことがある。この時私は結構緊張した。いわゆる熱狂的な応援集団が集まるサポーターズシートに挑戦したからだ。
 遠くから何度か見ていたから具合は大体分かっていると思っていたが、実際に威勢よく、勢いよく声援を送るというのは思っていたよりは難しかった(何回で切り上げる/或いは選手の名前/個別チャント/応援歌など)。
 多分何回も間違えたし、声が裏返ったりもしていたと思う。だがそれで何かおかしな空気になったりはしなかった。何となくだが、間違うこと自体は怖がることではないな、という様な感覚を得た。

 最も私を勇気づけてくれたのは、ゴールの歓喜の瞬間だ。恐らく大きな声ながら良く間違っている実害を受けていたであろう隣人のサポーターと激しいハイタッチを交わし、咆哮をあげていた。

 帰路に立つ際はさっきまでの大声を上げあっていた野蛮さはお互い消え、サラリーマンそのものといったお別れの挨拶で会場を後にした。

 今は何人かの友人たちと観戦を楽しんでいるが、一人で会場に良く訪れていた頃はたまたま隣り合う、前後になる人たちとその空間を全力で楽しむことに慣れていた。愛想のよい人もいれば、出来るだけ干渉してほしくない人もいる。その時々のダイナミクスの妙の様なものも楽しめるようになっていた。

 この一連の流れにおいて誰かが手を差し伸べているタイミングは実はあまりない(恐らく最初に誘ってくれた友人位)。何だったら不安を抱えながら乗り込んでいる訳なのでホスピタリティは良くないとすら言えるかもしれない。
 だが、どうして私は、或いは他の同様のサポーター達は一人でもひょいとやってきて、さして何をしてくれる訳でもない、何なら大雨に振られたり寒波で凍える様なスタジアムを愛するのだろうか。

 他のサポーターが何に惹かれているかは実際分からない。ただ自分自身を振り返ると、自分が今まで知らない世界に自分の意思で、足で飛び込んでいくワクワク感がまた次も、その次もと足を運ばせていた気がする。

 そうした新しい楽しみは時に日帰りで山梨や東北に一人で行ったりもさせた。それまでならやらない行動だった。それを誰かがやさしく勧めてくれるか、というとそんな事はない。
 或いはホーム全試合見る!と決めて仕事をとても計画的に実行するようになったりもした。それまでは行き当たりばったりだったが、どうしても達成したくなった。その時はあれだけ選手を応援しているんだから自分ももっとやらなければ、という気持ちだったと思う。

 こうした体験は自分自身では成功体験と認知している。もしかするとスポーツ観戦にのめりこむ背景の一つには一心不乱に応援することで自分の成長や成功につながる体験を共有出来ていると判断する脳のバグみたいなものがあるのかもしれない。

 さて、冒頭の話に戻ろうと思う。第1歩としてのホスピタリティはアクセスや駐車場など物理的に訪れてもらう障壁を下げる部分ではないだろうか。
個人的に観客の感情はより自由に表現される空間を希望したい(人を傷つけない自由で)。

 本質的にスポーツ観戦に限った話ではないと思うが、スポーツ観戦には変わっていく自分を感じられる機会が多くあり、そのポイントも人によって様々だ。もし競技以外の部分で楽しみを感じ、それが日常に或いは文化になっていくならスポーツクラブの存在意義は単なる運動集団から一歩先に抜け出す様に感じている。

 願わくば誰かの可能性に対して自分の体験から型にはめたり、「こうでなくてはならない」という概念が蔓延しないでほしいと思う部分もある。

今週のニュース-コービー・ブライアント氏死去-

 1月26日、世界中に訃報が走った。元NBAのスーパースター、コービー・ブライアント氏がヘリコプターの墜落事故により13歳の愛娘とともにこの世を去った。
 コービー氏の逸話は検索をかければ枚挙に暇がない。また一時代のヒーローであった彼の死はバスケットフリークだけでなく、多くの人たちの涙を誘った。

 事故の確率を考えると悲しいかな、不運としか言いようがない。本人が何か変えられるものではない。

 ただ早すぎる死にはインパクトがあり混乱を招くが、人はある日突然いなくなってしまうことがある。そういったことを再認識させられた。それは例え世界的に成功した英雄であろうと平等に。

 人間はいつかこの世から去る。それ自体は仕方のないことだ。
そこはぐっと堪えられるのだが、私は13歳の娘とともに事故にあっている最中「せめてこの子だけは」と願ったのではないだろうかと想像してしまう。
同じと言っては失礼かもしれないが、娘、子供を持つ親としてその状況でどんなことを考えるだろうかと思うとそんな気がしてしまうのだ。

 そしてその願いが叶わず、共に命を落とすこととなったことに私は悲しみというより痛みを感じている。

 勝手な想像が入り混じり、冷静な考えに及ばないのですが、改めてご冥福をお祈りします。

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