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エストニアで急性心筋梗塞・闘病記(1)

Day 1

その日、朝からとにかく眠かった。前日はよく眠ったと思うのだけれど、起きてからも眠くて眠くて。熱を測ってみたが平熱。特に痛いところもないしおなかも壊していない。糖尿病になってからはご飯を食べた後はよく眠くなるが(30分ほど仮眠をとることも多いが)、この日はそういうレベルの眠さじゃなかった。

Facebookでは

Facebook 2月18日 14時28分

という書き込みをしている。

とはいえ、翌々日に仕事先の人が自宅スタジオを訪問する予定になっていたので、段ボールなどを折りたたんでまとめて、階下のごみ置き場に捨てに行った。

これがだいたい15:00過ぎ、ぐらいか。

そしてもどってきて部屋着に着替えた後、両腕の二の腕の内側が変に痛むことに気づく。最初は

「ん?筋肉痛?段ボールもっていっただけで?まさかね」

と思っていたが、そのうち痛みは左腕に集中し、そして肩から肩の内側に「移って」きた。ただこの時点でも関節痛か筋肉痛かと思っており、薬箱を探してフェイタスだったかインドメタシンだったかの湿布薬を両肩に貼っている。(自分では1枚づつ貼ったつもりだったが、後でごみを捨てた妻によるともっとたくさん貼っていたようだ)

それでもどんどん痛みがひどくなってくる。これはヤバい、耐えがたい、何かおかしい、筋肉痛なんかじゃない、と確信し、救急車を呼ぼう、と思ったのが16:10ごろ。

ただいきなり救急車で病院に行ってしまうと、しばらく連絡不通になってしまうだろうと考え、妻にLINE通話してみた(16:13)、が繋がらず。自宅の電話を呼び出せば娘も気づいたのかもしれないが、この時もうかなり痛みがひどく、そこまで頭がまわらなかった。

仕方ないので 112、つまりエストニアの緊急通報ダイアルにかけ、救急車をお願いすることにした。スマホの画面に「緊急通報なのでXXXの住所を通知するよ?」という表示が出たのを覚えている。

エストニアはデジタル国家なので、救急搬送の詳細な記録を自分で取得することができる。これは、後で自分のID(マイナンバーカードの先祖)を使って取得した記録をDeepLで翻訳したもの。ちょっと恐ろしい内容で、心臓に悪いかも(文字通り)なので、別 Note に分けた。覚悟が出来たら読んでください。

エストニアで急性心筋梗塞・救急搬送|Takumin|note

救急隊が来てくれる!ということがわかり少しほっとした、のと同時に、この国のデジタルさ加減は十二分にわかっていたので、隣の奥さんに財布を探してもらって、その中にあるID番号がのっている一時滞在許可証を救急隊に見せてくれるように頼んだ。これさえあればなんとかなるという確信があった(そしてそれは正しかった)。

そして、ほどなく救急隊が到着し、シャツを切って心電計の端子らしきものを胸に貼り付けた冷たい感触がちょっと気持ちよかった、のが最後の記憶。

Day 2

意識不明。おそらく長めの全身麻酔をかけて、必要酸素量を減らしたのではないかと思うのだが…。だいたい40時間ほど意識がなかったことになる。

Day 3

確か昼過ぎだったと思うが、のどに強烈な違和感を覚えながら目を覚ます。目を覚ました時の状況はあまりよく覚えていないが、すぐにやたら機械だらけの病室にいて、数人の医師と看護師が取り囲んで何か作業をしているのが見えた。のどの違和感は気管挿管だというのは割とすぐに分かった。

目が覚めたことを気づいた医師が、すぐに気管挿管を外してくれたのだが、外す際にとてもとても痛かったのを覚えている。あとで触ってみてわかったのだが、のどの奥が大きな傷になっていた。挿管時に傷ついたんだろう。

そして鼻チューブの酸素吸入に切り替わり、少し間をおいて、近くにいた医師が質問してきた。

「何が起きたか覚えてる?」
「ハート・アタック?」
「ここはどこだと思う?」
「病院?」
「そう、病院。今日は20日の月曜日の午後だよ」

それだけ言うと医師は安心したように目の前のナースステーションに戻っていった。(ちょっとこの辺記憶が不鮮明で、他に何か聞かれたかもしれない)

意識を取り戻したあとも、手や足で点滴のパイプをどうにかしたり看護師さんたちが作業をしているのを「感じる」のだが、あまりはっきり見えない。そもそもひどい近視なのだが、メガネがないから見えない、感じではなく、右目と左目が見ているところが合わないのだ。

きょろきょろしていると、近くの看護師さんが気づいて、
「どこか痛い?」
「のどがいたい」
「じゃあお水のむ?」
と聞いてくれて、飲み口のついたコップに水を注いで少しずつ飲ませてくれた。美味しい。ただやっぱり喉は灼けるように痛い。

時間がたつと、少しづつ意識がはっきりしてきた。周りの物音も、ICU独特の機械(どうしてソミレドなんだ)の音も聞こえる。ロシア語らしき会話もよく聴こえるようになった。ただときどき頭の中がぐるんと一回転する感じ、めまいもひどい。

もしかしたら、と思って手と足を少しづつ動かそうとしてみた。まるで人の体のように重たいが、感覚がないわけではなく、「重たくて」持ち上がらない。ふとももを触ってみたが、きちんと脚の方も感じるのがわかる。少しほっとしたが、同時にすっぱだか+おむつでベッドに寝かされており、尿のカテーテルもつながっているのが分かった。

夕方5時過ぎになって、食事が出てきた。看護師さんがベッドの上半身をリモコンで起こしてくれた。
食事!日本でも大きな病院に入院したことはないし、こんな大病?もしたことがないのでよく知らないのだけれど、最初は栄養点滴かなんかじゃないのか?でも食事が出てくるということは「食べなければ栄養は得られない」んじゃないかと思い、ほとんど動かない肘を何とかもちあげて、確かオートミールだったと思うのだけれど、数口、あるいはもう少しなんとか食べたと思う。

美味しい、と思った。

ただ、おなか一杯、というよりも、手をたったそれだけ動かしただけで息切れし、とても疲れてしまったので後は要らない、といった。

午後7時ごろだったと思うのだけれど、だいぶ暗くなってきてから医師がやってきて、少しづつ説明してくれた。まずハート・アタックだということ、そのあと動脈がどうの、という説明。「ステントを入れた」というところは覚えているが、他の細かい話はあまり覚えていない。強烈に覚えていたのは、

"You were dead once." (君は一回死んだんだよ)

と言ったこと。

そしていま胸のどこかが痛むか?ほかに痛みはないか?と聞いてくれたが、のどが痛いだけ、それに「めまい」の英単語が思い出せず、代わりに「頭が痛い」と答えた。すぐに頭痛薬を看護師に言って処方してくれた。

医師は去り際に「明日の昼頃に奥さんが来るらしいよ」と言って、その時点ではまだ家族に連絡するという発想もなかったので、「ん?なんのこっちゃ?」と訝しく思ったのを覚えている。

その夜はまだ眠くて眠くて、ただうつらうつらするたびに同じ夢をみて、ドキドキして何度も起きた。そのたびに頭の上の心電図計を見て、夢ではなくて自分がまだ「生きている」のを確認してほっとした。

Philipsの心電図計 同時に血中酸素濃度、血圧も同時に測定する

この時がいちばん「死」が怖かったんじゃないかと思う。一度死んだと聞かされていたことで、「二度めは嫌だ」と強烈に願った。

闘病記 (2) につづく。


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