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正しいか間違ってるかはほとんど程度問題だと捉えられない人は「正解主義」で思考がバグってる

白か黒かはっきりすることもあるがそれはごく一部の場合で、大部分はほぼ白とかより白いとか、濃いグレーとか。白から黒に移り変わるグレーゾーンの中での比較検討ができるかどうか。

どっちが正しいか?ではなく、どっちがより正しいのかって判断できるとより現実に沿った形での解決策を考え出すことができる。

様々な状況、使える資源を見た上で、いくつか対策案があり、どれにもメリットデメリットがあるが、わずかにメリットが上回るのである一つの案を採用する。
そのように判断したのは自分で、それを判断したことによって起きる結果、良いことも悪いこともあるかもしれないが、自分が引き受ける。

個々人ひとりひとりの判断が求められる状況。

今だったら例えばマスクを。するかしないか。どうするか?
これを判断するために持ち上がってくる要素はものすごくたくさんあったりする。

ここではマスクの是非とか効用についてではなく、マスクをするかしないかに対しての判断の仕方の例として挙げている。マスクをどうするかは自分の健康状態と周囲の状況を踏まえて個々人が判断してもらえばいい。ただもう実際に咳をしているのであれば周囲にウィルスをまき散らさないためにマスクをするべきだ。その状態でマスクをしないことで、誰か他の人に注意されたりマスクをするように多少強制される事態が起きるのは必要なことだろう。

で、マスクをどうするかの判断をする場合、これは自分の健康だけではなく、他の人たちの健康にも関わってくる。

マスクの役割は大きく二つ考えられて、自分自身の感染予防と自分が感染していた場合の人に対しての感染予防。自分に症状が出ていなかったとしてもウィルスに感染している可能性はあって、それを人に移すことも考えられる。だからマスクをすることで、人に移す可能性を減らす。地域の人たちが皆マスクをすることで感染が拡がるのを抑制できる。

で、身体の健康を維持するために多少身体を動かすことが必要で、外で走りたい。
これまで外に出るときはマスクをしていたが、ただ春も過ぎて初夏のような暑さ。
マスクをして走ると息苦しい。心肺機能に負荷がかかりすぎる。身体に熱がこもることになる。
そうなるとウィルスうんぬんではなく、酸素不足や暑さにやられて身体を壊す可能性がでてくる。

で、ジョギング中に別に人と接したり近づいたりすることはまずない。

こういった自分の健康状態と、マスクが有効なのはどのような場面なのか。などなど様々な要素を踏まえて、マスクしなくてもいいか。

自分でそう判断してジョギングに行く。

「正解主義」が身についた人は、専門家が言うのでマスクはしなければいけない。していない人は間違っている。以上。

何かしらの状況があって、それを踏まえて個々人の判断でマスクをしていなかったとしても、マスクをしていないこと自体が間違っている。個人の判断が尊重されることはない。
自分はいつでもマスクをするから正しいし、マスクをしないで出歩いている人は間違っている。

それがもっと先に行くと間違っていることは正さなくてはいけない。マスクをしていない人のことは非難されるべき。それが正義だ。

ということになる。

もちろんマスクをするべき状況はある。分かっていない人にはある程度の強制が必要な場面はあるだろう。でもマスクが必要な状況ではないにも関わらず、マスクをするのが「正しい」からしているってのは、結局自分で考えていない。

自分の行動に責任をとっていない。

じゃあどうしたらいいのか?

あなたが自分で考えてくれ。

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