私の仕事

2019年4月18日の朝

朝渋というイベントにて須田仁之さんとお会いした時の話である。
そのイベントは朝7時半から9時まで著者の素敵なお話を傾聴できるとても魅力的なイベントである。

もちろんこのイベントを目当てで参加するが、1番の楽しみはイベント終了後。

同じ空間で、目の前に「あの本を書いたあの人」がいるわけだ。

挨拶に行かない手はない。

一番乗りで須田さんに挨拶に伺った。

須田さんと1対1で話すことができる貴重な体験の始まりだ。

「本日はありがとうございました!」

と伝えると須田さんは早速名刺入れに手を伸ばした。

しかし私は4月から上京してきたばかり、名刺なんてまだ持っていない。

「あっ、すいません。4月から都内に越してきたので名刺まだ持っていないです。」

「何系の仕事?」

須田さんから不思議な質問が飛んできた。

が、すぐその質問の意味が理解できた。

須田さんは自分の名刺を複数持っていたのである。

実際に2つ以上名刺を持っている人からすれば、なんだそんなことかと思うかもしれないが、

私にはビビっとくるものがあった。

自分が名刺を持っていないが故に須田さんにたいした自己紹介ができなかったことを後悔するのと同時に、

当たり前のごとく名刺を複数所持していて、当たり前のように「あなたにあった自己紹介」ができる須田さんに感銘を受けた。

よし、名刺を作ろう。

さて、名刺を作ることは決まったが、会社から支給される名刺と一緒では意味がない。

しかし、自分で会社を立ち上げることは現段階ではできない。

うーん。
肩書きが無しというのも意味がない。

よし、肩書きを作ろう。

まず浮かんだのが、「ライター」だった。

フリーライター

よく聞く肩書きだ。

フリーで書き物をしています。
一つだって記事を書けば名乗れる。
なんて簡単に肩書きは作れるのだろう。

でも私の夢は

いつか本を書くこと。

これはライターでもできる可能性はあるが、本を書くとそれは、
ライターより作家ではないか。

そもそもライターと作家の違いとはなんであろう。

ライターとは、誰かに依頼されて記事を書く
作家とは自分の言葉で文章を書く

みなさんご存知であろうか。
作家という資格はない。

名乗ってしまえばこっちのもんだ。

名刺の肩書きは「作家」で決まりだ。

さて、作家と名乗ることはいとも簡単に決まったが、

作家を名乗ったのに名刺に記載してあるツイッターのIDやらfacebookやらどこかしらに「自分の言葉で書いた文章」がなければその名刺は意味を成さない。

よし、書こう。

一つブログでもなんでもいい。
自分の言葉で書いた文章さえ載っていれば。

それはライターではなく作家だ。

そう、これを書き終えた時点で私は作家と名乗ることを決意したのだ。

さて、ここまで確かに自分の文章で書いてきた。

確かに自分でしか書けない文章だ。

しかし、それがお金につながるのか。

やはりただ書くのは中学生の日記と一緒。

この文章を読んで、ためになった!
次書く作品が気になる!
お金を払ってでも読みたい!

と思わせる文章が必要だ。
それも他人の言葉ではなく自分の言葉で。

さて、ハードルが上がった。

私ができることはなんであろう。
唯一自信があるのは本を読むことである。

これもまた朝渋での話ではあるが、

2019年4月3日

浅野幸司さんの『THE TEAM』のイベントがあった。

私がこのイベントに気がついたのが前日4月2日の朝。
副都心線で通勤途中だった。

なんとなく、これには参加しなければならないような気がした。

電車の中で申し込みをし、
お昼休みに5分で吉野家の牛丼を食べ、本屋に走った。
迷わず『THE TEAM』を購入。
明日のイベントに備えて昼休み中ずっと読書。
仕事が19時に終わり、帰りの電車の中、家に着いてからひたすら読み続けた。

読み終わったのは12時を少し過ぎた頃であった。
感動することが多すぎて付箋がびっしり付いていた。

4月3日のイベントは『THE TEAM』の中で3つ目のキーワード「C」

コミュニケーションについてである。

(詳しくはライターが記録してくれているのでそちらをご覧いただきたい)

ゲストは北野唯我さん

『天才を殺す凡人』で有名な著者だ。

実はこのイベントの数日前に『天才を殺す凡人』を購入していて、今読んでいる本が読み終わったら読む予定であった。

北野さんには失礼だか、積ん読されていた。

朝7時に渋谷にいるには5時には起きなければ。

さすがに12時から読み始めるわけにはいかなかった。

諦めた。

当日の朝、寝坊せずに7時には渋谷に着。
イベントに参加した。

ここで衝撃の事実が発覚する。

『THE TEAM』は本日発売日です!!!

え?

さすがは東京。
発売日の前日には書店に並んでいたのである。

発売日が4月3日という事実を全く知らず、
イベントに参加するには全て読んでから参加しなければ、
の気持ちで読みきった甲斐があった。

もちろん浅野さんと北野さんの素晴らしいお話を傾聴でき、勉強になることはいっぱいあった。

しかし、1番嬉しかったのは、これもやはりイベント終了後。

浅野さんにサインをもらいに挨拶に伺った時だった。

発売日の朝7時には読みきっていて、
付箋がべったべたに付いていて、
線も引っ張ってあって、

浅野さんがとても喜んでくださって、
まさか私の本を写真に収めていた。

これだ。

これこそ私ができることだ。

相手のことを研究し、
例え1日しか時間がなくても、

会う直前までできる全てのことをやって会おう。

これならできる。

私は村上春樹ほど、小説を書くセンスはない。

堀江貴文ほど、名前の知れ渡った人間でもない。

ただし、相手を理解しようと思うことを努力することは誰にだってできる。

だったらやろう。

そもそもお金は誰に配られるべきなのか。

話が飛ぶように感じる人がいるかもしれないが、
実はこれはとても重要なことである。

昔日本人はご飯を食べるために働いていた。
今でもそうだろと言われればそれもそうなのだが、
今の日本では娯楽にお金を払える時代なのである。
これが大きい。

ここで娯楽という言葉を間違って解釈しないように説明することとする。

娯楽とはディズニーランドに行くことではない。

ん?

これって娯楽でしょ?

確かに娯楽である。

ん?

どういうこと?

私がここで使っている娯楽という言葉の範囲の問題だ。

貧しい国では、今日食べれる何かがあるだけで幸せな国がある。

ピンときた人がいるであろうか。

コンビニでいつでもご飯が買える。
スーパーでいつでも食材が買える。

毎日白米とたくあんのみ
という生活をしている人が今日本にいるであろうか。

娯楽という意味の範囲を広げることができたであろうか。

今の日本は娯楽にお金を払うことができる国なのである。

さて、では話を戻そう。

この娯楽にお金を払える国日本で、相手を理解できる人間がどうやったらお金を稼げるのか。

難しい質問に聞こえるが、
実は答えははっきりしているのである。

相手を理解できることは、相手の承認欲求を満たすこと、つまり相手を喜ばせることに繋がる。

こんな言葉誰にでも言えるが、

それで充分ではないか。

人を幸せにできることに対し、相手はお金を払うであろうか。

今読んでくださっているあなたにとって私が書いたこの文章は、お金を払う必要はないと思うかもしれないが、

ではなぜあなたはディズニーランドにお金を払うのか。

ディズニーランドでの楽しい時間にお金を払っているのである。

この違いを論理的に説明できるであろうか。

何か変わりたいんだけど、
才能ないし、何やったらいいかわからないし、
と言う方が多くいるが、

何をやりたいか考えることももちろん大切だが、

あなたは何ができるのかをもう一度見直してみることもよいのではないか。

私がこの文章全体を通して、読者に何を知ってもらいたいか。

それは、否定的にならないことである。

そうだ!
お金ってこういう人に届くのか

と思えるか

ばっかじゃねーの?

と思うか。

あなたはどっちの人間になりたいですか?

作家 Taku

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