島本作品との出会い〜画業40周年突破。炎の名言投票に寄せて。

島本和彦先生の画業40周年突破を記念の炎の原画展が開催されることとなった。
現在Twitterではこの原画展開催記念として、炎の名言投票キャンペーン行っている。

これに投票するための名言を私も考えてみたのだが、島本先生への感謝とキャンペーンへの熱意を表明するため一度、私と島本作品の出会いについてエッセイにて記しておこうと思う。

島本和彦先生の漫画に出会ったのは、高校生の頃友達の部屋で『アオイホノオ』を読んだ時だった。

私は当時はまだ『ジョジョの奇妙な冒険』『鋼の錬金術師』など大メジャー級の少年漫画しか読んだことがなく、初めて読む青年漫画に少なからず衝撃を受けた。

まず表紙だ、他の漫画が華やかさを前面に押し出す中、『アオイホノオ 』の表紙は暗い青色で所々に経年劣化で汚れてしまったような加工がしてあるこの"あえて"汚して古さや郷愁を呼び起こす演出に痺れた。
しかも主人公の青年が自室で寝転がってるだけの絵、この外し感、気負っていない感じに妙に惹かれた。

この漫画は只者じゃない!きっと私の価値観を大きく変えてくれるはずだ!という予感がした。
ワクワクに従いあらすじも読まずにページを捲る。


この物語はフィクションである。


予感は確信に変わった。

ドラマや映画の終わりによく表示されるありふれた言葉のはずだ。
さらに言えば、保守的でそれまで観ていたドラマの世界から一気に目を覚まされてしまい良い印象のない無粋な言葉である。

しかし、それを物語の頭に目一杯大きく見せられるだけで不思議と力強く無上にポジティブな言葉に聞こえるのだ。
正に発想の転換!

この一見ネガティブな言葉をポジティブに再解釈するというのは、島本作品を読んでいくと先生の得意の手法なのだというのが後にわかったが、(例として「無理が通れば道理が引っ込む!」「心に棚を作れ!」など)ともかくこの時私はこの言葉にひどく感動し、まだ漫画が1ページも始まっていないのに圧倒されてしまったのである。

本編の内容についてはネタバレを避けるために少しぼかして書くが(第1巻が2008年の作品であるが現行作品であることと、漫勉等で島本先生に注目が集まっているために念の為配慮する)ギミックとしてはフィクションであると断言した上で当時のクリエイターや作品、そして同級生の庵野秀明や南雅彦等がバンバン実名で出てくる。
そしてそれらの作品や当時の風俗を主人公の焔燃がどう受け取っていたかを赤裸々にそして克明に描写されていく、これが堪らなく面白かった。

若者特有の無鉄砲さと上から目線で、漫画雑誌を読んで「俺も絵が下手だがこいつはもっともっと下手だ‼︎」と下を見て安心し果てには、あだち充を可哀想扱いし、高橋留美子を心配する。
そのくせ自分は「プロのしきいは・・・意外と高いぜ‼︎」と原稿用紙に枠線を引いただけで投稿作品の執筆を後回しにする体たらく。
主人公の情けなさに共感しながらおおいに笑った。

一方で焔が持つパッションと何もしていないように見えて、大きく回り道をしながらほんの少しだけ成長していく姿に憧れをいだいた。

1巻を読み終える頃にはどうしても欲しくなってすぐに本屋に向かい当時すでに10巻以上発刊されていたが少し迷いつつも全巻購入した。
アルバイトをしていなかった私には大金だった。

その後、本屋で島本作品を見かける度に購入するようになった。
『逆境ナイン』『燃えよペン』は笑いながら熱くなったし、『ワンダービット』はポジティブに向かうSF 短編集というものには新鮮さを感じた、案外『メガMEGAみーな』なんかもコミカルで好きだ。
こうして島本作品が私の人生のバイブルとなっていった。

それでもやっぱり一番好きな作品は『アオイホノオ 』だし、炎の名言は何かと考えたら「この物語はフィクションである。」の文言が私には一番強く残っている。

最新作が代表作であり一番面白い、最近もインタビュー等で鬼滅を超えるほどのヒット作を描くと意気込んでおられた。
やはり焔燃はこうでないと、島本先生らしく挑戦的で作家としても理想的ではないだろうか。

還暦を過ぎられたが、ますます元気で今後の作品が楽しみだ。

最後ににあらためて島本和彦先生の画業40周年突破と原画展の開催に感謝とお祝いするとともに今後のご活躍をお祈りいたします。

https://www.amazon.co.jp/アオイホノオ-1-ヤングサンデーコミックス-島本-和彦/dp/4091512682/ref=nodl_?dplnkId=0bd799c6-808b-4b1f-adfd-c76a55f03355

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