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まぐ愛とは?まぐわいとセックスとの違い

和多志がまぐ愛という概念を知ったのは半年前。

それまでは男女の行為といえば、
セックスと思っていた。

セックスという単語は、
もともと分けるという語源からきている。

戦後日本に入ってきて
まぐわいという言葉と置き換わった言葉だ。

まぐわい(目合ひ)は目が合うとかく。
辞書で調べてもまぐわいとは、
“目と目とを見合わせて愛情を通わせること”
とある。

セックスが分けるを語源にした性行為としての意味なのに対して、まぐわいはなんと美しい響きだろう。日本語に全て隠されている。

僕たちは日本を知る必要がある。
さらに和多志たちは、愛のまぐわいをわかりやすく”まぐ愛”と呼んでいる。

ぜひ、これからはまぐわい、まぐ愛という言葉を使ってみてほしい。言霊のパワーはすごい。

とはいえ、言葉だけの違いでも行為としては同じなのではと疑問を感じるかもしれない。そこで、僕が腑に落ちた考えについて共有する。

まぐわいとは、
心が通ったオキシトシンセックスである。

そして、セックスとは
体の快楽、性器の刺激のみのドーパミンセックスである。

オキシトシンとは幸せホルモンとも呼ばれるホルモンの一種であり、心地いいと感じると、脳の視床下部で生産され、脳下垂体から分泌される。

お互いが愛を持って触れ合うことでオキシトシンが分泌される。まぐわいとはオキシトシンセックスと言うと、イメージが掴みやすいかもしれない。

まぐわいとは愛し合った男女が2人で統合し循環する愛の行為である。満たされたもの同士がお互いに自分も相手も満たし合う行為であり、その愛の結晶として新たな命が生まれる。

いやらしさや下衆さなどとは縁遠いものである。

逆にドーパミンセックスは、
性器の刺激のみの奪い合いセックスである。
これは、お互いに不調和をもたらす。

心と體と魂、全てが整って一致しているのが調和だとしたら、不安や自分を誰かに認めてほしいという負の状態から求め合うので、エネルギーの奪い合いになり不調和をうむ。

特に女性は自身のパワースポットである子宮に不調和が起き、男性のエネルギーが残ったり、悲しみ怒りなどの感情のエネルギーを溜め込むことになる。

女性の性については、彼女のえみがプロフェッショナルなので、ぜひ彼女の投稿や講座で學んでほしい。彼女は実際に1000人以上の女性の膣を調整してきた性のプロフェッショナルだ。僕はあくまで男性目線の体感から僕自身の學びと氣付きを共有する。

多くの人とセックスをすれば満たされると思っている人が男女共に多いように感じるが、それは間違いだ。心と體の不調和が助長されるだけで、終わりのない負のループに入ってしまう。

性エネルギーは莫大だ。僕たちはまずどれだけ勘違いをしていたかに氣付く必要がある。愛し合うまぐ愛は、すばらしい。心も體も満たされ、お互いに解放し循環する。

男女の性行為がエロとか、変態とか、下衆とかそう言ったイメージになっているのはなぜなのか?そうすることで誰にどんな利点があるのか?なぜここまで性エネルギーは押し殺されているのだろうか?

まずは知るところから、そして
奪い合いのセックスから満たし合いのまぐ愛に、
1人でも多くの人が氣づき、1組でも多くの夫婦やカップルが変化していくことが、今後の世界を創る。

なぜなら、これからの世界を創るのは子供達だからだ。子供達は純粋だ。周りの環境でいかようにもなり得る。愛の存在であると小さい時から安心感の中でのびのびと自由に自分を表現できた子供たちが世界を創っていったら、なんて素敵だろう。

僕たちは彼らに大切な命のことを伝えていく必要がある。そのためにはまずは僕たちが知ることから。男女がわかり合い、満たし合い、統合するところからだ。

共に學び、共に創り、共に愉しもう。

タクマ

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