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【宇宙元旦】和多志の決意

和多志は、これまで自分の感性を外に出すことをひどく恐れていた。例えば和多志という一人称もそう。日本で戦前まで使われていた一人称で”多くの志を和す”という意味がある。

言霊で私なのか俺なのか僕なのかで、
自分が自分にかけている言霊が違うわけだから
当然自己意識も変わってくる。と言うことだったり、目に見えないものへの感性だったり、和多志が本当に心からいいと思ったことはおおよそ、現代社会では理解されなかったり怪しいと言われたりするものである。

和多志は、社会というものに僕の心からでた声を否定されたり蔑まれたりするのを恐れて、これまで自分を出せなかった。そこには、根深いところを掘っていくと、他人を信頼できないところがあった。こんなことを言っても受け入れてもらえないだろう、と心のどこかで思っていたのである。でも、それは結局人から認めてもらわなければ何もできないのか?と言うことになる。自分の生き方を人からの評価に委ねていたということにようやく氣づけた。

今の和多志は違う。まずは自分を自分が信じること。それから他人を信じること、そして人に認めてもらおうがどうだろうが、自分のこれだと思ったことを、できるだけ自分の感覚にそのまま言葉にすること、そしてそれを表現することだ。

と言うわけで、和多志には今、心から静かに湧いてくる情熱がある。それは、性を伝えると言うことだ。ここ数年間、ずっと本質を探していた。食なのか、スピリチュアルなのか、體なのか、心なのか、潜在意識なのか、色々とやってみて触れてみた中で、ここが本質だと氣づけた。

人は、皆男女から生まれる。
地球にいる70億人、1人として例外はない。
人を形成するのは、まず生まれてからの親子関係であり、そこから成長するに従って周りの人、つまり社会が影響して概念が形成される。

つまるところ、1組の男女というのは人間関係の最小単位であり、ここの関係が全人類に影響しているのだ。愛の世界に変えていくには、まずはここの関係を愛の関係にすること。さらに深ぼればまぐあいによって人間は生まれてくるのだから、まぐあいから世界は作られていると言える。ここの根源を愛とせずに世界は変わるか、いや、変わらない。

現代人の集合意識では特に日本では、性をいやらしいものとしている。性、まぐあいをいやらしい、触れてはいけないものとしていてどうして愛の世界が作れようか?それ以外のことは全て枝葉である。

根源を愛に変えよう。氣づいた人から変わっていこう。僕はそのために伝えつづける。長い間自分のやりたいことがわからず苦しんできたが、ようやく僕の命を燃やす場所がわかった。

ここだ。性であり、男女のパートナーシップであり、まぐ愛だ。ここなくして愛は語れない。

共に學び、共に創り、共に育み、共に愉しもう

たくま

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