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自分と繋がる立春

桜は毎年美しく咲き、美しく散る。

あんなに美しく人を魅了する花を咲かせるのに
散る時はなんの執着もなく散る。

そして夏になり緑の葉っぱを生い茂らせ
秋になると色も変わり葉っぱが落ちて
冬になると見た目は寂しい木の枝だけになる。
そして、春に近づくにつれてだんだんと新しい命が芽吹きはじめる。

そんな一年の間にも必ず根は張り続けている。
目には見えないけれども根は張り続けている。
そのしっかりとした根があるから桜は毎年花が咲く。

僕たちはどうか。
外の世界は騒がしい。そこに釣られてすぐに成果を求めてしまう。何かしていないと焦ってしまう。

確かに挑戦は素晴らしい。でも、一年を通して根を張り続ける土台があってこそ花は咲く。挑戦するという勇氣を陽の勇氣とするならば、立ち止まる勇氣は陰の勇氣。立ち止まるにも勇氣が必要な時代である。正直、何かしている方が楽である。自分を顧みなくてもいいし、何かをやっているというやっている感があるし、頑張るや挑戦を美徳とする社会の中に生きているのなら、頑張ってるねぇ偉いねぇ、と言われるだろう。

でも、ここで一旦立ち止まる。周りがどれだけ騒がしくても、どれだけ速くてもブレることなく立ち止まり自分と繋がる。焦らない、動じない。自分を知り、自分の心地いいを小さな日常から選択し続ける。自分の感情を感じること、小さな違和感に氣付くこと。とても地味なひとつひとつの日常。

でも、ここが大切。
外側の手っ取り早いいい話にぶれそうになることもあるだろう。地味なことを続けている自分に焦ることもあるだろう。自分と繋がり確かな根を張ること、自分を知ること。一番近くにいる自分という存在を大切にすること。外の世界に逃げずに自分をちゃんと真正面から見てあげて声をかけてあげること。

目には見えなくても確実に春は近づいている。立ち止まる勇氣を持った自分を認めて褒めて愛してあげる。誰もができることではない。ゆっくり根を張り続けよう。

拓磨

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