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人と自然と感謝と共に生きていきたい!

時は移ろいゆく。

さて、生きているとそれはそれはいろんなことが起きます。日々暮らす中で、生きる中で感じる葛藤やもやもやもあります。

今日は1月から4月までの4か月間で僕が感じ考えたこと、経験したことをヒントに(手引きに)ぼくはなにをだいじに生きていきたいのか、何を守りたくて、どんな未来を描きたいのか。自分に素直になって記してみますね。

これから先、迷ったときにここに戻ってこれるように現在地を書き記しておこう。




”ただ、いること”



1月から3月までの期間、こちらのゼミで「ただ、いる」ことについてゼミの仲間と福祉施設へのフィールドワークやそれぞれの日々を頼りに対話し考えていました。

人が場にいること、ただ、そこにいること。共にいること、在ること。それだけのことがとても難しく、そして尊いものであるとゼミを通して実感しました。存在すること。在ること。いること。生きること。豊かさと幸せ。



”ただ居られること”(居られる)は自分だけでなく、相手もそう感じていた方が良い。
ただいることって自分がただいれてるなって思える場所とか、自分が感じることで話すことが多いと思う、相手もそう思ってた方がいい。相手もただいる、自分もただいる、相手もそうじゃなかったら、それって本当に入れてる場所なのかなって。相手からの視点も大事なのかな


ゼミで仲間が伝えてくれたこと。これまでは自分が”ただ、いる”こと、自分の在り方や存在に向き合ってきたけれど、最近は他者や周りの環境、自分がその時にいる場について考えたいと思っています。

とってもとっても奥が深くて捉えどころのない共にいること、在ること。生きること。向き合ってみる。


4月から旅に出て、日々多様な場に行く中で自分の場での振る舞いや在り方を反省する機会がたくさんあります。僕の場でのあり方や姿勢について感じたことを真摯に伝えてくださった方もいて。言いずらいことを伝えてくださって本当に感謝しています。

理想を語るのであれば、それを誰よりも率先してまず自分が実践したい。出来ていないことも多々あるけれど、あり過ぎるけれど少しずつ少しずつ。出来ていない自分のことも認めてあげる。

相手(他者)のことを想像すること、配慮すること。相手がどう受け取るのか、感じるのか。忘れてしまいがちな僕なのですが、だいじにしたいです。



感謝を自らに育むには


僕の場合、どんなものでも自分で実際に体験したり、経験して苦労しないと感謝の気持ちが生まれにくいと感じています。

千葉や長野で鹿や猪の罠猟に同行させていただき、鹿を解体しました。命をいただく、食べる。命への感謝。自分が生き物にふれて、絶命の瞬間に立ち会って自分の手で解体して初めて本当の意味で感謝の気持ちが芽生えた気がします。

酪農や畜産の現場にも近いうちに行こうと思います。


長野では山菜を自分たちで山から取って、それをみんなで料理して食べました。食材や料理を作ってくれた人へ思いをはせる場面が多かったと思います。


「食べ物の皆さん、ありがとう。作ってくれた皆さん、ありがとう。いただきます」
〜村でこどもたちがいただきますの前に口にしていた言葉。僕もこれから言葉にしたり、心で唱えたりしていきます。

千葉と長野で狩猟や農業、採集など食の生産過程を体験することによって、食への感謝の気持ちが少しずつ芽生えてきました。嬉しい変化です。スーパーで当たり前のように手にする食材には作られた背景があること、目の前にあることが当たり前ではないこと。

身近な生活圏を取り戻したい、って言葉が今浮かんできました。


そしてこちらのTEDtalksを思い出しました。改めて見てみます。


私の朝のコーヒーを担うすべての人々に感謝する旅


作家A・J・ジェイコブズは、本質的にはシンプルに見えるアイディアの探求に乗り出しました。彼が朝飲む一杯のコーヒーに携わったすべての人に、直接お礼を言うのです。千回以上「ありがとう」と言い終えて、ジェイコブズは探求に伴い世界中を旅したことを振り返ります。そして、旅の途中で学んだ人生を変えるような教訓を教えてくれます。ジェイコブズは言います。「いつもは気にかけない何百もの人々がいなかったら、私の手元にコーヒーは届かなかったことに気付いたんです。」

TEDtalksより




安心して挑戦できる未来へ



1年前に岡山県西粟倉村に行った時のレポートにこんなことを書いていました。

僕にとっての基底と理想はこんな感じです。

基底:無事に生きていること。
ーありがたいことに、たくまが生きてくれているだけで救われるよ。いるだけで安心感があるよ。と感じてくれたり、言葉や言葉以外でも伝えてくれる素敵な仲間、大切な人に囲まれていて。離れていてもつながっているなあと感じています。まずは自分の在り方を見つめなおしていくこと。自分は生きていてもいいんだ、という安心感に包まれながら生きられたらいいなと思っています。

理想:自分以外の存在にとっての生きる希望や癒しになること。
ーまず、自分が安心して生きられるようになったら、身近な人や大切な人たちの安心安全をつくっていきたいなと思っています。生きづらさを抱えている人に勇気や希望を届けられる、苦しみや不安の中にいる人に癒しや安らぎを提供できる、そんな人になれたらなと。今の僕はこころもからだも疲れているので、まずは基底の自分のことを何よりも大切にしながら、日々を過ごしていきま す。時間はかかるかもしれないけれど、その先に希望があると信じて。


昨年度の一年間で基底に関して、自分は生きていてもいいんだという安心感を育めた感覚があります。生きていくために自分で必死に動いて、自力の限界でいろんな方に助けを求めて。様々な苦しみや葛藤を経て今の僕は悲観すること、絶望を感じることもあるけれど、以前より希望を持って生きています。


これからは基底も大切にしつつ、理想の「自分以外の存在にとっての生きる希望や癒しになること」を追いかけてみたい。人は深い安心を感じた分だけ、挑戦できるのだと思います。「生きてて良かった」と思える瞬間をたくさん創りたい。がんばります。



大きな失敗と恥ずかしさと


旅をしたり、挑戦を重ねる過程でこれから先、大失敗と呼ばれ得るものや恥ずかしこと、どうしようもないことがどんどん増えていくのだと思います。それでも未知なる道を求める自分のことを止められないから仕方がない。

小さくまとまってたまるか、と思っています。

自分が完璧ではないこと、出来ないところや弱さがあること、ゆらぎがあることを認めていく。


「現世に生きる釈迦になりたい」

と海岸で大切な人が話してくれたことを思い出しています。優しくていねいに繊細に伝えてくれました。この言葉に彼女の生き方や在り方が表れているようで素敵だなと思います。煩悩もあるんだけど、あることも認めながら付き合っていく、向き合っていく生き方。

無から世界を見つめて、それでも現世に生きる。


ここ最近の恥ずかしかったことや感情が動いた瞬間を思い出しながら、自分がどこまでも生き物だな、人間だなと感じています。達観したり、悟ったり、すべて分かったようになりたい自分もいるなあと感じつつ、地に足付けてひとりのどうしようもない人間として生きていきたい。現実に現世に生きていく。


ちゃんと自分にも煩悩があって、苦しみがあって、恥ずかしさがある。申し訳なさも感じるし、自己嫌悪に陥ったり、怒りを感じたりもする。そんな煩悩(?)たちと付き合いながら仲良くなりながら生きてみます。



アメリカ大統領選挙に行きます


11月5日に行われるアメリカ大統領選挙を現地に見に行きます。一緒に行く仲間も募集しています。


中東情勢や移民、難民。環境危機。他にも僕が目を向けることが出来ていない、感じることが出来ていない痛みが世界に溢れています。アメリカ大統領選挙には痛みも苦しみも憎悪も、愛も希望も光もいろんなものがすべて詰まっている気がしていて。

世界的な視座を持ちたい。その上で周りの環境を大切に動いていきたい。高校生の時Think globally,Act locallyという言葉をアメリカに行く前に引率の方が伝えてくれました。

Think globally,Act locallyを体現したい。

それには僕はまだまだ世界のことを知らなさすぎる。

人が人らしく、文化を誇りに感じながら、自然を大切に豊かに幸せに生き続けられる未来であってほしい、地球であってほしいと強く思います。大切にしたいものを守り抜くために、攻めの姿勢に出てみます。これは海士町の思想でもあります。


混沌とした世界のリアリティを感じに、ちっぽけな身体を携えて全身全霊ですべてのことを吸収してきます。何が起きるかわからないですが生きて帰ってくることだけは何が何でも達成します。絶賛作戦会議中です、また書きますね。

共に生きているすべての命、存在に感謝します。いつもありがとう!
これからもどうぞ、よろしくおねがいします。


ひとと自然、ひとと文化、ひとと社会、ひとと人を結びなおす、つなぎなおす、ゆるめる、ほどく、豊かな幸せな関係をみんなで創っていく事業に使わせていただきます!