見出し画像

新入社員時代おかしくなるほど苦しんで自分のことが少し理解できた話

こんなnoteを書きたいと思っていたんです。今回はアメリカのビジネストレンドの話じゃなく、新入社員時代のことを書きたいと思います。

・・・

大学生の頃、音楽イベントの企画にハマり4年間その運営に没頭していた。企画書をもって企業を回り、協賛金をもらったり会場を提供してもらったり。イクスピアリやカレッタ汐留、今は無き九段会館でのコンサートなど、大小合わせて100本くらい企画に携わった。思い返しても充実した大学生活だったように思う。

知らない人同士が1つになるイベントの場が好きだし、そこでの演者と来場者のコミュニケーションを設計したり、同じジャンルに携わる海外の運営メンバーと仲良くなったり。イベントをつくればつくるほど、自分の価値感が広がっていくような気がして、企画に熱中し続けた。今になればはっきりわかるけど、自分が楽しい!と思うことは当時から明確だった。

学生時代、イクスピアリで開催したアカペライベントの様子(2008年)

あの時の情熱を信じて就活するなら、間違いなくマーケティングエージェンシーや広告代理店を希望するのが最善の答えだったように思う。でもなぜか、そうしなかった。理由はよくわからないけど家族を心配させないために(堅実な業界の)大手に入った方が良いとか、学部の友達はみな金融・商社・製造業のどれかに行ってるとか、イベントとかちゃらちゃらしたもので一生食っていくのは良くないとか・・・そんな思いがあったように思う。

結果的に選んだ会社は、日本を代表する電機メーカー。超大手で人材も優秀だし、就活ランキングでも上位で、親戚一同大喜びだった。不満は無いけど、自分の経験や直観とは特に結びつかない会社だなと漠然と思っていた。そしてなぜ人事が自分を採用してくれたのかもわからなかった。でもリーマンショックの翌年の就活だったから、大手からの内定は素直に嬉しかったように覚えている。面接では、どんな仕事でもやり遂げます!的なことを言った気がする。

入社前の配属面談で「希望の部門は?」と聞かれ、何も考えず「海外営業です!」と答えた。仕事で海外に行けるなんてすごいし、イベント運営で企業協賛も取ってたし、営業向いてるっしょ!と思っていた。しかし2010年に入社した時、受け取った配属通知には「国内資材調達担当」と書かれていた。大企業は新卒一括採用で、入社後の配属采配が当たり前。想定できた結果ではあったが、その状況になってようやく焦りを感じた。自分の人生が、自分にコントロールできないものになっていくのを感じた。

「イベント企画ばかりやってたのに、資材の購買なんて出来るかな?」
「でもそもそも海外営業に配属されてたら幸せだったのかな?」
「まあこれまで何とかなったし、なんとかなるでしょ!」

結論、まったくどうにもならなかった。


新入社員時代に会社の人と撮った唯一の写真。これしかない。
しかも隣の人の名前がわからない。汗

仕事では、ものづくりに必要なある資材を買って工場に渡す。買う部分が「調達」で、渡す部分が「供給」、その間で需給を調整する「管理」。6人くらいのチームでこの資材の商流全て見ていた。大企業では珍しいチームで、大手製造業によくある「作るのは私、売るのはあなた」みたいな縦割りは無く、新入社員でも責任感をもって仕事するのに良い環境だったと思う。

この部署でできるようになったことはあまりに多い。エクセルも使えるようになり、決算書も片言だが読める、契約書を1から法務部門とつくったり、法律が変わる潮目で取引のスキームを作り直したり、新規の調達先や供給先と条件の駆け引きがあったり、破断になりそうな契約を立て直そうと走り回ったり・・・。いろんな仕事に取り組ませてもらった。

でも自分はこの仕事でとても苦しんだ。仕事をどれだけ覚えても、取引先と接していても、仕事が楽しいという感覚をどうしても持てなかった。最初の頃は新入社員だからそんなもんかと思っていたが、2年経っても3年経っても、そんな状況が続いた。

仕事ができなさ過ぎてハブられているとかいうわけではない。ではなぜ、こんなにも楽しめないのか?学生時代の方が面白いことをやっていたから?担当している資材に魅力を感じないから?(調達部門の評価はコストダウンと安定供給によって測られるわけだが、)その評価自体に魅力を感じないから?職場の人間関係?そんなことばかり考えていた気がする。頑張っているのに仕事を楽しめず、求められている結果を出せず、周囲の期待に応えられない・・・そんな状態が続いた。

現状を打開するために色んな行動をした。仕事で結果を出せるように人より頑張る、悩みを相談できる友人を作る、資格や専門知識を身に着けて転職する、ワークとライフを切り分けてプライベートを充実させる、など。そうやっていくうちに分かってきたことがあった。

①自分はワークとライフを切り分けられない。仕事が充実してないと、プライベートを楽しめない。だから仕事を楽しめない限り、人生どん底

②転職や異動するにも専門知識が無いし、やりたい仕事が分からない

③同じ悩みを持つ若手は一定数存在する。彼らは職場で孤独感を感じているから出会いやすい。ただしいつしか辞めるか、組織に馴染むかして会わなくなる

これが分かると、徐々にやるべきことが見えてきた。まず引き続き成果を出せるようとにかく仕事は頑張ろう。次に組織に染まってしまう前にやりたい事を見つけて移ろう。やりたい仕事を見つけるには自分の内面と向き合いながら、人と出会って話を続けよう。そう決めて、行動を始めた。営業、マーケ、新規事業、企画など色んな仕事の人と話すようになった。社外のNPOにもいくつか所属した。

何故とっとと退職しなかったのか?についても正解は無いのだけど、「やりたいことをやれていることが大事」な自分が「やりたいことがわからない」という状態で退職してどうなるのだろうという思いと、お世話になっている現業で何とか役に立ちたかったという思いがあったように思う。

毎日出勤する時に「いつかこの仕事を離れる時に『もっとやれることがあった』と思うことが無いよう、今日をとにかく頑張りきろう」そう言い聞かせて、入社してから大きな変化がないまま、4年間仕事を続けた。

・・・

終わりはあまりに突然訪れた。2014年の2月。「これやってみたいかも」そう思える仕事が見つかった。1つはチームラボの空間制作のプロマネ。もう1つは社内の組織で海外のイベント・展示会をプランニングするチーム。うまく言語化できないのだけど、仕事を知れば知るほどわくわくして、この仕事をしてみたい!という思いがどんどん強くなっていった。

なんか、わかった瞬間、当たり前すぎて、笑えた。

「これ、学生時代にやってたことやん!」

と一人で突っ込んだ。こんな当たり前のことも俺はわかってなかったのだと。

そしてチームラボの社員さん数人に会い、エントリーシートを出そうとしたタイミングで社内のイベント企画部門に人事異動が出て、ポストが空いた。課長さんと既につながってたから声をかけていただき、そこにするっと異動した。なんとあっさり。こうして苦しみもがき続けた初期配属での4年間の勤務が終わった。

余談だけど、異動の直前に、社長賞(といいつつ実際は部門長賞的な表彰)をいただいた。正直言って自分の成果とは言えないし、求められた結果を出せてないけど、このタイミングで受賞できたことに不思議な縁を感じた。お疲れ様って誰かがゆってくれてるのかな、、と思ったりした。

・・・

そこからというもの、仕事が、人生が、良い方向に動き出した。イベントの仕事はとにかく楽しかった。だって見て。仕事のメンバーと撮った写真がいっぱいある!!笑


仕事をするうちにイベント企画だけでなくSNSやウェブ、アナリストリレーションなどの仕事に携わることができ、コミュニケーションを設計することが好きなのだと気づいた。どういう場で、どういう人が、どういう技術を披露すれば、どんな結果があるのか・・・アンテナを張って社内の部門とつながり、適切なタイミングで適切な技術・人に舞台にあがってもらう。これを設計することに楽しみを覚えた。

仕事が楽しく人生が楽しい。すごく単純だけどワークとライフを切り分けられない自分にはこの変化が何よりうれしかった。仕事が好きになればなるほど、会社のことも大好きになっていったし、この会社に自分がいる意義を感じることができた。

そこから3年経ってそのチームも離れ、今はアメリカで働いている。これだけ時間が経てば、当時なぜ今の会社を選んだのか?しんどい部署で上手くやりきる方法は無かったのか?なぜコミュニケーションの仕事が好きだと4年間も気づかなかったのか?わかりそうなものだが、今も正直よく分からない。

結局人生はわからないことだらけなのだけど、少なくとも自分にとって何が幸せなのか、何が譲れないのか、それが早くにわかって良かった。それだけで今後大きな失敗はしない気がする。最初からそこそこ楽しいことばかりだったら、その軸は持てなかったんじゃないかな。これからも自分が楽しいと思うへ、人生を進めていってほしいなと思う。がんばってくれじぶん。

おわり(書いててとても楽しかった!キリン、note ありがとう!)

#社会人1年目の私へ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?